**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   292号 2014.7/25

 今の社会も行き着くところまで行ったようです。「日本創成会議」が「消滅の可能性のある自治体896団体」のリストを公表しました(2014年5/8)確かにインパクトはあったようで、直後に関係自治体の多くが緊急会議を開いたようです。田舎移住を支援しているNPOなどは困惑しているでしょうが、私は関係者との話しがシンプルになるので歓迎しています。

 政府はこれから地方救済という名目のもとに経済活性化のための事業を行うのでしょうが、そのプランは本質を踏み外しているように思います。
 そもそもは日本の人口減少を食い止めるというのが目的の筈なのに、地方に拠点都市をたくさん作ってどうするのでしょう。
 地球レベルで見ても、都市の出生率はその国の平均出生率より低くなっています。人口を維持するための2.1人をクリアしている都市等ありません。生命原理として、同種が一ケ所にたくさん集まって暮らすようになると、共食いを避けるために子供が生まれなくなるような遺伝子プログラムが作動します。
 地方に大きな都市を作ると、地方の出生率も下げることになり、人口減少を益々加速させます。

 さらに言えば、今の都市型生活スタイルは、70億人で地球1.5個分の生産力、浄化力を消費しています(日本人に限って言えば地球2.6個分を消費)。
 その生活スタイルを助長するような社会システムを作るのは人口維持ではなく、民族破滅の政策です。
 今の状況(地方は空になり、都市は過密と競争で子供も作れない)が問題なら、その原因である戦後の思想と価値観を修正すべきなのですが、その気はないようです。

◎中山間社会の結末

 中山間社会の人口減少は戦後の交換経済(社会分業)の生活に巻き込まれたことが原因です。
 少人口低密度社会では、いくら望んでも豊かで木目細やかな社会分業は成立しません。
 そのために近隣の都市に仕事や生活サービスを求める生活になりましたが、移動は経済的なコスト(車費、時間消費)になります。広域に動くと交換経済のメリットより、コストの方が大きくなって生活になりません。仕事のある所、豊かなサービスのある所に出て行くのは自然なことです。

 そもそも中山間社会のフォーマット(形式)は、400年前新しく生まれた自営小農民によって、自給自足的な生活をしながら家族型稲作農業を行う空間として作られたものです。交換経済による生活を想定したものではありません。
 戦後の思想、価値観の中で、交換経済の方に歩があると判断したなら、400年前の先人に習って空間形式を変えるべきであったといえます。国内分業の中での地域の納まり所、存在価値を見つけだして(例えば新しい農法による農業地域にするとか。人生二住居制を提唱して子育て期間や定年後の生活地するとか・・・)、それに沿った社会作り(空間構成)を1960年代に手を付けるべきであったと思います。

 ところがその本質部分にはずっと触れないままに、手っ取り早く都市と同じような現金生活が出来るように(現金収入を得るための勤めに出やすいように、近隣の都市への買い物に出やすいように)、道路を重点的に充実させました。

 その結果、中山間社会は産業地域ではなく「超郊外の住宅地域」という位置付けになってしまいました。大半の人は地区外での勤労収入が主で、農業収入は従となっています。夜間人口より昼間人口が少なくなっていますから、風景はともかく本質はベッドタウンです。

 しかも近隣都市に通じる道路は高規格道路ですから、破損しても昔のように地域の人の道普請で対応できるものではなくなっています。維持管理は1千兆円の借金を抱える政府の予算に頼るしかありません。頼れるものかどか・・・。
 財政健全化を優先するドイツは、幹線道路のアウトバーン(速度無制限道路)さえ修復が遅れがちで、速度制限区域が増えています。日本も財政を立直すしかなくなったらドイツどころの話しではなく、地方の道路などは放置状態でしょう。

 また移動手段である車の燃料価格は、為替に影響されますし、しかも政情の不安定な中東に依存していますから、常に高騰するリスクを抱えています。
 堺屋太一「平成30年」ではガソリン価格が1000円になるという話しが出て来ます。これは小説という形をとった氏の予測です。堺屋氏は「油断」という小説でオイルショックを予測し、的中させています。

 中山間社会の場合、ガソリン価格が高騰するとか、道路機能が低下するとか(破損しても復旧予算が付かず迂回路を使い続けるなど)・・・があれば今の「超郊外の住宅地域」という位置付けも完全に破綻します。
 そうなれば今以上に多くの人が仕事先の方に移動するでしょう。これは「日本創成会議」の言う2040年の話しではありません。来年のことかもしれません。

 そのようなことに影響されないためには、結局元の本質部分(地域の存在性)に手を付けざるを得ません。理想は完結社会(外のサービスを必要としない社会)を作り、地域内で暮らせるようにすることです。

◎都市の人が中山間社会に新しい暮らしを作る

 日本の人口減少問題は、都市の方が大きな影響を受けます。これは空間構成が生活者の移動手段を徒歩、自転車を前提になされているからです。
 日々の生活を支えている日用品サービス(ミニスーパー、パン屋、ファーストフード、クリーニング店・・・)は、各店の徒歩圏(半径500mのエリア)の消費者人口で存在が決まります。
 エリア人口が減少すると、体力のない店から順に閉店します。徒歩しか移動手段のない人で、閉店した店に頼っていた人は暮らせなくなります。

 すでに古い団地などでは住民人口が減り、団地内の店が閉店したために暮らせなくなった人(買い物難民)が出ています。日用品サービス店は商圏が狭いので、企業移転などで消費者人口が減っても同じ結果になります。
 ただエリア人口の問題なら隣の地区に引っ越すことで解決できますが、全体人口の減少になると解決の方法がありません。

 「人口問題研究所」の推計では、数年後の2020ねんからは三大都市圏でも人口減少が始まります。しかし大都市の場合、それよりも早く人口が減少する可能性は常にあります。
 ヨーロッパでは1980年代から大都市へり関心が弱くなっています。日本の止まる事のない都市化現象は生物学的にも異常であり、これがいつまでも続くとは考え難くくいつか反転するでしょう。
 そういう意識変化と、予測されている動態的減少とが重なると急激な人口減少となります。都市生活はシンプルな要素で構成されていますから、自然災害や経済混乱で生活要素の一つでも失われると、それが切っ掛けとなって意識の反転が起きるという可能性があります。

 都市の弱点は人口が減少し中抜け状態になっても、車が使える空間構成に変更できないことです(個人宅にも日用品サービス店にも急には駐車場が作れない)。 消費者人口が2〜3割減少すると店の減少となり、徒歩や自転車では日用品が充分調達できなくなるでしょう。
 「都市は不便になり、今に人がいなくなる」という神道系の予言もあります。政府は過疎化した自治体の破綻しか考えていないですが、私は大都市の瓦解の方が先だろうと思っています。

 都市が不便になるとは考えたこともないですから、出て行かざるを得なくなっても、なんの準備もなく、行く当てもないまま、彷徨うことになります。
 しかしそういう人達が地方に(先ずスペースのある中山間社会に)新しい暮らしを作るでしょう。いぜんの暮らしの中に少しでも頼れるものが残っている人は以前の暮らしから出ることが出来ません。いつの時代もすべてを失った人の手で新しい世界が作られることになっています。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  292号 2014. 7/25