**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   279号 2011.11/25

 前号までの食の話を前置きにして、少し深い話に入って行きたいと思います。この後でもう一度食の話に戻ります。

 神道系の啓示ですが、『火水伝文』は、「ハタラク事と食らうことをいっしょにしてはならぬのじゃ。汝等の本来のハタラキ、不調和を調和に、不秩序を秩序に、闇を光にするハタラキなるぞ。・・・汝等の申せし仕事、今のままでは害悪垂れ流すだけのハタラキの魔ぞ・・・」と言っています。

 ここの部分は、私たちが生きることの核心に触れた部分です。少し説明を入れておきますと、「人間本来の仕事とは世のアンバランス(不調和)をバランス(調和)に導くことだ」と言っています。
 社会のどこがアンバランスであるか、どこに不足が生じているかは、それぞれの個性が感じるものです。同じことを他の人は感じることができません。ここに個の存在理由があります。
 このことは、アンバランスを是正したからといって、不足を充足させたからといって、誰れもお金を払ってくれないということでもあります。
 お金を払ってくれなければ食べられないので、問題を感じていても手をつけないでは本来の仕事はできません。それ由に「ハタラク事と食らうことをいっしょにしてはならぬのじゃ」と言っているわけです(お金がなくても食べられる方法を次回数字で説明します)。

 今の時代は、お金は自我の欲求を満してくれる所に流れています。したがって、ハタラク事(収入を得ること)と食べる事がいっしょになっていると、他人の自我欲求を満す流れの中で仕事をするしかありません。その結果は「害悪を垂れ流すだけのハタラキになる」と。
 例えば、原発の問題は誰れもが感じていたことでしょうが、原発の建設作業を行ったのも、原発の運転を行っていたのも私たちです。お金で命をつなぐという形だと、今の世では「害悪を垂れ流すだけのハタラキ」になるのです。これは原発関係者だけのことではありません。今の経済原理から考えれば全員同じ罪を犯しています。

 このような世の中になっていたので仕方がなかったと考えたいですが、『火水伝文』は、「汝等働かずば食らう事出来なくなりたるは、汝等働かずば困る者(搾取と支配をたくらんだ者)の図りし事ぞ、三千年の企みぞ。汝等まんまと操られ、ワナにはまりただけぞ。それは汝等が、『あやま知』(心ではなく頭の考える正しさ)に囚われたるが由なるぞ・・・」と言っています。つまり、元々は私たちに責任があるというわけです。
 そして、「こ度これによって無念の死とげるもの数多くあること忘れるなよ。こ度死ぬ者はこのワケ聞いて肝に入れ、生き戻れるように死んで下されよ、死んでも頑張りて下されよ」と言っています。
 理由はどうあれ、作用に伴う反作用の法則はのがれることが出来ないようです。

○害悪垂れ流しの罪人にならないために

 『火水伝文』は、「汝等は<働かぬ者食うべからず>とのたまうが、それは誰れの決めたことぞ。誰れののたまいし事ぞ、神、申してないぞ。汝等働かずば困る者の図りし事ぞ。ワナにはめられただけぞ。」と言っています。
 そして、親切に「汝等の食らうことなど自然と真釣り合わせれば(共振して同化すれば)足ることぞ。神(集合意識)と人、真釣り合えば、日々1〜2時間のことで有り余るのぞ。食らうことから自由になれるのぞ。今の今も、汝等の食らう分、有り余れる程用意してあるのじゃぞ。」と説明しています。

 気をつけて探せばこのようなメッセージはいたる所に見つかります。これは『神との対話』シリーズの中での一節ですが、「・・・誰れにも確実に充分ゆきわたるほどの豊かさを提供した。誰れも飢えるはずはないし、まして飢え死になどするはずがない。・・・全員に充分なだけある」(『神に帰る』)と言っています。
 『日月神示』は、「つつましく正しくしていけば、その国々で一切不足なく暮らしていけるように、何もかも与えてあるのに気付かんのか」と。

 これらのメッセージに共通していることは、「食はすでに与えてある」ということです。食が、与えられているものを単に受け取ることであるなら、収入は関係のないことになり「害悪垂れ流すだけのハタラキ」から解放されます。

 与えられているものを受け取るには、洗脳によって刻み込まれた食の常識を修正する必要があります。私たちは、「食料=穀物(1年草)=農業」という図式を当然のことと思っていますが、これこそが働かなければ食べられなくなった根本原因です。
 穀物(1年草)は木陰(林床)には育たない植物ですから、栽培するためには木を伐採して専用スペース(農地)を作る必要があります。しかも、灌漑施設を作り、毎年土を攪拌し、毎年種を播きます。このように手間のかかる食物が無料になることはありません。
 それなら農耕を行う側に回ったらよいのではということになりますが、そうすると今度は農耕に時間を取られて、食以外の必需品は農作物を売って入手しなければならなくなります。立場を変えてみてもお金の世界からは出られません。
 私たちの問題(苦痛)は、農耕によってしか作れない物(穀物や野菜など)を食にしてしまったことにあるといえます。考えるべきはこの部分です。

 誤解のないように言っておきますが、農耕によって人類の食事情が安定したわけではありません。逆です。気象の変化(長雨、旱ばつ等)で一番に被害を受けるのは農作物です。飢饉は農耕を行うようになって体験することになった現象です。東北地方には、「飢饉になったら山に逃げろ」という口伝えがありますが、自然に飢饉はありません。食の調達方法ということから考えても、農耕は不安定な方法といえます。

 それにもかかわらず、農耕による食の調達方法が広まって行ったのは、支配と搾取をたくらむ者たちに操られたからだと『火水伝文』は言っています。何もせず食べられる者を支配することは不可能ですから、農耕しなければ食べられない仕組を作っていったのです。
 しかし、地球人口が70億人を越えた今、従来の方法を続けていると、地球は森林を失い地球生態システムは破綻します。今のような食スタイルをとっている人全員が加担者となります。魂に傷を残します。

 『日月神示』は、「野見よ、森見よ、その国その所々で充分暮らし向きできるぞ」と言っています。野の物、森の物も食料という視点で見るなら、食は作らずともすでに与えられているといえます。

 次号では「すでに与えられている物」を効率よく受け取る具体的な方法を紹介したいと思います。これは永久システムの中に入っていくことであり、意識振動数を上昇させる手段ともなります。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  279号 2011. 11/25