**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   278号 2011.10/25

 前回「食用ドングリ」の話しを差し込みましたが、その直後、鳥取県米子市が町起こしの特産品として、マテバ椎を使った食品を作っていることを知りました。ドングリパンやクッキーは以前からありましたが、ケーキやうどん、酒なども作っていました。調べたところコンニャクや豆腐なども作れるようです。
 木は春に植えれば秋に実をつけるというものではないので、農耕とは別の時間感覚で考えておく必要があります。大平洋の珊瑚礁に暮らす先住民は、新しい島に移住するとき、まずヤシを植え育ってから移住すると言います。
 これからの二十数年間、否応無しに人生観、生活観の変更を求められるでしょうが、その参考になればと思っています。

 さて食の話しの続きですが、前号までの話しで「自然のものを多種類食べるのがよい」という結論になりました。こういうことなら、野のモノ、山のモノをそのまま食べれば良いということですから、わざわざ農地など作る必要は無かったことになります。
 なぜ農地が作られていったのか、自給の生活空間を構成するためにそのことを解決しておきたいと思います。

○交換経済の中で農地(穀物畑)が必要になった

 今、私たちは米・麦・トウモロコシ・・・といった穀物を主食にしていますが、これは人類史から言えばつい最近の食傾向にすぎません。人類の歴史を500万年と考えた時、499万年は穀物(1年草)を食にしていません。それは次ぎのような理由からです。

 穀物などの1年草は、大量の日光を必要とする植物ですから木陰には生えません。大地が森林で被われていた時代(すべてがアマゾンの熱帯雨林のような状態)、生える場所は限られています。
 どういう場所に生えるかというと、土砂崩れ、山火事、洪水・・・などで樹木が無くなり土が露出した所です。そういう環境に最初に生えてくるのが1年草です。しかしそれも2〜3年間に限られています。その後は多年草が優勢となり、さらに何年かすると木が生えて来て、やがて元の森林になります。

 このようなことから、森に暮らす人類が1年草に出合うことは少ないですし、出合っても熟した種を手にすることはさらに少ない確立となります。なぜなら、1年草は種が熟したらすぐ飛散落下する性質を持っているからです。
 例えば、アワの先祖種は今でも野原に生えているエノコロ草(通称ネコジャラシ)ですが、種が熟すると風が吹いただけで飛散落下します。

 石器時代の人類は、木の実や根茎類、昆虫を主食としており、穀物は先のような理由から食べていません。そのような食スタイルで栄養バランス的には全く問題なかったようです。石器時代の人骨(六千体ほどある)からは、病気や栄養失調の痕跡は見つかっていません。骨格の発達はよく、頭蓋骨などは現代人より厚いといわれています。
 これは澱粉質やアルコール系の食物など血液の酸性度を上げるものを摂取しなかったためだろうと考えられています。

 では自然界において局所的な植物(1年草)がなぜ主食までになったのかということですが、これは交換経済が深く関係しています。
 1年草の栽培を行うためには定住しなければなりません。多年草や樹木が生えないように土を撹拌し、種を播き、雑草を取り除き、鳥獣被害から守るという連続的な作業があるからです。
 移動しながら食物を採集していた時代の人にとっては、定住は大変なリスクです。収穫できなければ餓死するしかないからです。その危険をおかしてまで1年草を栽培したのは、それが単なる食糧ではなくもっと大きな利用価値(交換経済での交換仲介物品としての価値、お金に類する価値)があったからだと考えられます。(なお穀物栽培のスタートには熟しても種が飛散しない奇形種の発見があります)

 日本でいえば縄文時代にはすでに交換経済が始まっています。青森の三内丸山遺跡からはヒスイの装飾品や刃物としての黒耀石が出土していますが、現地では産出しない石です。
 交通の発達していない時代は、交換できるものと言えば運びやすいもの、時間変化しないものに限られています。その面で穀物は酸化が遅く(日持ちが良く)、調理も簡単(灰汁抜きなどが不用)ですから、交換物としての需要が大きかったと思われます。そういう価値があれば多少のリスクがあっても穀物栽培(定住農耕)をするでしょう。この辺りの判断はいつの時代でも同じです。

 その後の歴史からも解るように、穀物はお金の代用品となり、税金として納める品物になっています。最初から特殊な用途で栽培されていたことが推測できます。
 しかし生産されたものは最終的には誰かの食となります。このようにして穀物食が習慣となり大地の至る所が穀物畑となっていったのです。ここには支配という思惑も絡んでいます。(日持ちの悪いイモを主食とした文化圏との比較で説明すれば分りやすいのですが、話しが長くなるので省略させていただきました。赤道付近のイモ文化圏では交換経済の仲立ちをする物品がなく、交換経済が発展していません。反面、権力支配もありません。)

○自給自立を実現するには自然の植生に沿うこと

 農耕(1年草の栽培)を行うようになると、自給自立能力を失います。それは先にも触れたように、耕したり、除草したり・・・といった間接作業が多くなり、衣類や住居にかかわる時間が無くなってしまうからです。
 また農耕は日照の多い平野部の方が有利であり、その方向に移動すると建材や燃料となる樹木が少ないですから、物理的にも自給条件を失ってしまいます。

 自給自立を成立させている先住民(インディオ)の生活をみると、食は採集が基本になっており、補足的に行っている農耕も多年草(バナナのような植物)の栽培が中心です。多年草だと、一度植えておけば後は何年も収穫だけとなります。1年草農耕が基本になっているというケースは見られません。
 人為が少ないほど時間的なゆとりが生まれますし、自然環境も破壊が進まず安定します。

 先住民の生活から言えることは、効率のよい生活(無駄な労力、時間を消費しない生活)を作るには、その土地の最も安定した植生状態の中から衣・食・住、エネルギーを調達することのようです。
 自然の安定状態というのは、大地がその緯度に育つ最終植物(太陽光が少なくても育つ樹木)で被われた状態のことです。関東以西でいうと、カシ、シイ、クス、タブ・・・などが中心樹木となった森です。この状態の森は、自然災害などのアクシデントがなければ、同じ状態が千年、二千年と続いていきます。

 日本のような照葉樹林帯での理想的な食スタイルは、「木の実>多年草>1年草」といった比率になります。縄文時代の食スタイルはそのようになっており、サケの利用がなかった西日本では、カロリーの40〜50パーセントを木の実(クリ、クルミ、カヤ、ドングリなど)から摂取していたようです。これは照葉樹木帯に共通する食スタイルであったらしく、アメリカの先史遺跡からも備蓄ドングリが発見されています。
 世界中の人が、その土地の植生に応じた食スタイルを取ったなら、地球人口が70億人になっても大地は森で被われていたでしょう。

 これからの時代、人生において、一方に自給自立できる空間を持っておくことが重要なことになります。それは社会の方向を変えていくために、心に沿わない仕事にはNOと言えるようにしておくためであり、これ以上、魂を汚さないようにするためです。
 その自給空間を作るに当って、実のなる木は不可欠の要素ですから、ドングリの拾える季節にと思って前回マテバ椎を紹介しました。
 話しを早く進めたいので、説明が不十分とおもいながらも次ぎのテーマに移っています。意味不明の部分もあるかもしれませんが、お許しください。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  278号 2011. 10/25