**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   250号 2009.11/5

 前号に引き続き、小冊子の第2章を紹介します。なお、小冊子の題名は『別の宿を求めて・・・競争のない暮らし・文明の作り方・・・』となりました。
 
 
第2章 競争のない生き方・暮らし方

1 競争のない社会
 意識の進化を考えると競争のない社会を作るべきなのですが、人類は元々そういう社会で暮らしていました。採集によって各自が自給自立していた時代は、共同はあっても競争はありません。今でも、太平洋上の小さな島国ではそういう暮らし方をしています。
 また、分業を行っていても、競争のない世界があります。それは、枠(垣根)のある社会の中で分業を独占する仕組を作っている社会です。19世紀半までの日本はそういう社会でした。

 今の考え方からすれば、分業を独占で行うのは良くない事のように感じられますが、夫婦の世界はそれが基本になっています。夫婦はお互い分業を行っていますが、ここに自由競争という考えはありません。お互い独占を守り無競争世界を作っています。このために、家庭は安らぎの場になっています。
 これは、夫が外で働き、妻が家庭を守るという固定した働きを意味するのではなく、分業によって補い合う働きを意味します。
 夫婦の分業方法を是とするなら、社会もまたそうであるべきです。宇宙は相似象的な構成で作られており、夫婦の拡大世界が社会である以上、両者の原理に矛盾があってはなりません。

 夫婦の分業が独占になるのは、他人が介入できないように制度的な枠(垣根)を作っているからです。そのことに異議がないなら、社会にも適宜枠を設けるべきです。
 電話や車のない時代は、万人に等しく距離の制約が働きましたから、社会の枠(垣根)は自動的に作られていました。地域内の業者と地域外の同業者が互格で競合することは物理的にありえないことでした。そして、距離の枠が働かない時は、夫婦のような制度的な枠(同業者組合など)を作って、同業者が過剰にならないような工夫をしていました。これが昔からの日本の社会でした。
 そのような安定した社会が壊れたのは、近代になって欧米から自由競争という思想が入ってきたことと、通信・交通の発達で距離の制約が破壊されたことによってです。

 競争による切磋琢磨が良いことなのか、枠を作っての無競争が良いことなのかは、宇宙の仕組から考えてみるべきです。
 太陽系の中に、他の恒星系の惑星が入ってきて自由競争をするのが良いことなのか。地球に、火星や木星の生命体が入ってきて自由競争をするのは良いことなのか。日本に、大陸の動植物が入ってきて自由競争をするのは良いことなのか・・・。
 しかし、どんな例を上げたところで、今の時代は自由競争が好きな人が多いですから、全社会的に枠を設けて行くということは望めないでしょう。

 そこで、平和な社会がよいと思う人から順に、独立完結した世界を作り、そこに枠(垣根)を設けて競争のない社会を作ったらよいと思うのです。熱帯雨林地域の少数部族は、100〜200人ぐらいの人口で独自の言葉を持っていますから、それぐらいの人数がいれば人間は完結した世界が作れるのでしょう。
 また、アメリカ合衆国の『アーミッシュ』(プロテスタントの一宗派)のように、文明の中にあっても独自の枠社会を作っている人たちもいますから、方法はいくらでもあるといえます。

2 小さな枠社会の考え方
 今の競争社会から離脱し自給自立することは、思っているほど難しいことではありません。技術より考え方の問題です。自然に在るものと、自分で作れるもの(古代人よりはるかに多くのものが作れます)だけで、暮らしを組み立てればよいわけです。車は必要かどうかではなく、自分たちで作れる道具なのかという判断をします。単純です。作れないものを使おうとすると、今の競争社会から出られなくなります。

 人類が有史以来グループを作って暮らしてきたのは、一人で出来ないことは、皆の力を合わせること(合力)で処理するためです。

 ところが、今日の専業者の組み合わせによる分業体制では、その合力が使えません。設計の応援に営業が加わっても人数倍になることはありません。かえって足手まといです。又、専業者による分業体制は、どこかに欠落が出ると全体が動かなくなります。企業はそういう時、外部市場から人員を入れたり、仕事を外注したりして対応しています。
 しかし、新しく作られる「小さな枠社会」には、増員市場も外注先もありません。したがって小さな枠社会の分業は、専業者(スペシャリスト)ではなく総業者(ゼネラリスト)で組むことになります。

 総業者というのは、一人であっても自給自立で生きようと思う人のことです。思いのあるところに技術や知識は集まるもので、やがてゼネラリストになります。
 そういう人が集まって、それぞれ得意な部分を出し合って分業体制を組めば、一人で自給自立するより、また自給自足者の集団(かっての農業集落のような集団)よりはるかに高度な生活(社会)が実現します。
 このようなメンバーによって組まれた分業体制は、どこかに欠落が出ても誰れでも穴埋めができますし、どこかの部門が忙しくなれば全員で応援することもできます。合力が使えるのです。許容力があり安全度の高い社会が実現できます。これが「小さな枠社会」を作るときの基本的な考え方です。

3 小さな枠社会の組み立て方

 この部分はメルマガで長々と書いて来たことの要約のようなものですから、ここでは省略します。

第3章 新しい文明の作り方

四つの文明の可能性

 前章で、小さな完結社会(枠社会)の考え方と作り方を紹介しましたが、それが社会全体にどのようにかかわり、どのように広がり、どのように新しい地球文明になって行くのかをシュミレーションしておきます。

1 枠社会とグローバル社会が重層する文明

 永遠に続く文明はありません。それには大きく二つの理由があります。一つは、外部条件が変化してそれまでの文明をサポートできなくなるケース。今までの文明は、地球の資源を一方的に消費する文明でしたから、外部条件は刻々と変化しており、すでに樹木と淡水は今までの文明をささえる量を失っています。
 もう一つは、文明を作っている人間の意識変化です。意識は静止することがなく、退化か進化への変化を起こします。どちらに変化してもそれまでの文明は維持できなくなります。

 そのような変化によって、文明の収縮や混乱が起きると個人の生活もその影響をダイレクトに受けますから(ホームレスはすでにその被害者)、それへの対応技術が必要になります。
 環境の全体枠が縮小した場合、単細胞生物は合体して個体数を減らすという方法を取ります。企業は、工場を統合したり合併したりして、やはり数を減らすという方法を取ります。

 人間の場合は、世帯数を減らす(複数の世帯を一世帯に統合する)のが倫理的で効果的な方法ですが、現時点ではそこまでの社会技術を持っていません。
 しかし、事態が進行すれば背に腹は変えられないという人が出て来ますから、いずれ統合化を実行するでしょう。ただし、第2章で紹介したような家族統合の方法を発見するには少し時間がかかると思います。

以下、省略 小冊子「別の宿を求めて」を御覧ください。

2 小さな枠社会が無数に存在する文明

 先の暮らし方の進化形ですが、既存社会から出た人達が小さな枠社会で自給自立できるようになると、外の社会は有っても無くても、又、同じような枠社会がどこにあろうと全く関係なくなります。
 20世紀始めアマゾン川流域には1000ぐらいの部族社会があり、それぞれ言葉が違うことから、単独で独立社会を作っていたと考えられています(今は森林伐採により半分以下になっています)。
 それと同じように、小さな枠社会がそれぞれ自給自立し、それが地球上に無数に存在する文明スタイルも考えられます。

 小さな枠社会で止まる理由ですが、今の人間の脳は、脳科学的に見ても文化人類学的な調査から言っても、150人ぐらいの人間関係を処理するのが限度だろうと考えられています。150人の人間関係を、数学的に単純計算すると11,175通りになるとかで、これだけでも手に余るような関係です。したがって、それ以上の人数集団を作ってもあまり意味がないとも言えます。集団が大きくなると「調和の原理」が働かなくなり、管理体制が必要になります。

 ただし、150人の世界では、いくら分業を駆使しても今の文明のような道具世界は作れませんが、道具が無くなれば意識面では最も進化しやすい状態になります。

以下、省略 小冊子「別の宿を求めて」を御覧ください。

3 小社会の連合社会という文明

 小さな枠社会が単独で存在するのではなく、それらがゆるやかに連携して行く文明スタイルも考えられます。一つの例ですが、アメリカ合衆国に暮らす『アーミッシュ』(宗教改革のときに生まれたプロテスタントの一宗派で、18世紀に多くが新大陸に移住し、独自の文化の中で暮らしている)は、150〜200人のコミュニティ社会を作り、人口が増えると分家コミュニティを作るという方式で拡大して行き、現在千を越えるコミュニティになっています。
 コミュニティ間のつながりはゆるやかで、毎年の連合イベントのとき物々交換や情報交換が行われる程度で、全体(20万人)の統括機関は持っていません。宗教的な教えのみで統一が保たれています。

 注目すべきは、合衆国にいながら合衆国の文明を利用せず(電気も直接引かずバッテリー電気を使っており、車、電話、インターネットなども使わない)、150〜200人で維持できる独自の文化と制度の中で暮らしてきたことです。
 『アーミッシュ』のコミュニティ社会の拡がり例は、小さな枠社会が増えていったとき、ゆるやかな連合という形で文明が生まれる可能性を示しています。この場合も、既存文明を生きる人と「小さな枠社会」を生きる人との二重構造になります。

以下、省略 小冊子「別の宿を求めて」を御覧ください。

4 集団を社会の単位とする文明

 これは、今の様な国家があるという前提ですが、「新しい文明は、個人ではなく自給自立できる集団(小さな枠社会)を社会の最小単位とする文明になる」と、ある人たちは言っています。
 今は個人が社会の最小単位ですが、これが自給自立できる集団に変わると言うのです。イメージしにくいかもしれませんが、今日の産業界と同じようになると考えれば解りやすいかもしれません。仕事をしているのは個人ですが、すべては会社(団体)の名において成されます。それと同じように、日常生活もすべてが「小さな枠社会」の名において成されるようになるということです。

 そういう社会になれば、私たちは「調和(平均)の原理」が働く枠の中で暮らし、社会全体としては分業体制を取り今のような道具文明を保つことができます。
 ただし、社会単位を個人から集団に移行させることは、技術的には可能であっても社会的に実行するのは難しいと思います。
 実行するとすれば、まず『憲法』の条文の中の「個人」という部分(権利と義務が謳ってある)を、すべて「集団」に置き換える必要があります。普通にはそんな変更は出来ないでしょう。

 そんな事が出来る時というのは、国家が機能しなくなるような事件があった時です。そんな事があると行政は有って無きがごとしですから、人々は生きるために集団、徒党を組みます。つまり、世帯の統合化、グループ化が行われます。これに乗り遅れた人は生きて行けないですから、社会は短期間の内に集団の集合体となります。
 それで現実が動いて行けば、つまり取引が集団対集団で行われるとか、個人は何をするにも所属する集団が問われるとか・・・になって行くと、その後の法律は集団を社会の単位にしたものになります(集団を作るとき、2章で説明したような組織の方法を知らないと、運営で10〜20年苦しむことになります。共産主義崩壊後の東欧諸国はそうなりました)。

以下、省略 小冊子「別の宿を求めて」を御覧ください。

5 私の未来予測

以下、省略 小冊子「別の宿を求めて」を御覧ください。

 以上、今回はとても長くなりましたが、小冊子の概要を抜粋紹介しました。なお、小冊子はPDFにしていつでも皆様にプリントアウトして読んでいただけるようにしました。「クモの糸」トップページに「小冊子」の入口を作っていますので、どうぞ御活用ください。

●●●●お知らせ

 当メルマガも丸9年経ち、250余号発行してきました。これも皆様のお陰と感謝しています。
 10年目に入り、251号からまた新たなステップへの内容にしていきたいと考えています。次号からは発行日を決めずに随時発行としたいと思っていますので、今後も引き続きご愛読の程、宜しくお願い申し上げます。

・・・・内輪話ですみません。
今回の文章は今までの中で最長かもしれません。250号ということでキリがいいもので、むりやり詰め込んでみました。長過ぎて読むのが面倒な方は「クモの糸」サイトから小冊子をプリントアウトしてゆっくりお楽しみください。この小冊子は製本すればA5サイズの小さな冊子になりますので、必要に応じて何部でも作れます。次号251号からは、タイトルはそのままですが、気持ちは新たに「新・癒しの郷を創ろう」という内容でお送りします。どうぞ宜しくお願いします。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  250号 2009. 11/5