**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   230号 2008.8/5

 前号に引き続き、09年以降の話しです。今号は本質部分に触れておきます。

○文明が自ら崩壊するように祈るしかない?

 単純に、シンプルに考えると、文明の矛盾、自我の矛盾が見えてきます。例えば、食糧の絶対不足があり餓死する人が毎年1千万人もいるのに、その食糧を燃料にしなければならない文明。原子力発電所のような危険度の高い道具を完全なコントロール技術のないままに増設しつづける文明。代替物のない水を一方的に汚染しつづける文明・・・そして、この文明が自分たちの手で止められないのです。

 地球にとっても、私たちの肉体にとっても凶器と化していた文明が止められないのは、私たちが文明(人為的な生存システム)の中で暮らしを立てているからです。文明を止めると生きて行けなくなると考えているからです。
 自我は、今から何かするより、この延長で流した方が、自分一代は楽だと計算しています。はたしてこの計算はどうなのでしょう。チャネリング情報は、文明の中をこのまま生きることの方が危険だと伝えています。

 今回は、なぜ文明(人為的な生存システム)の中にいると危険なのかということを、少し視点を変えて説明しておきたいと思います。
 これはよく考えれば解ることですが、文明というのは私たちの記憶の産物です。記憶がなくなると文明の便利さは存在しません。パソコンの便利さも、操作記憶があってのもので、記憶を失えば単なる物体です。認知症の人は、文明社会の中にいながら、ある意味で文明の無い世界を生きています。このことを考えると文明が記憶の産物であることがよく解ると思います。そして、その事から逆に考えると、文明の中を生きるということは、記憶を使いつづけることだということが解ります。

 記憶は、3次元の事象データです。したがって、記憶を使うことは、3次元の振動数を発信することだとも言えます。その記憶で肉体を操作するということは、肉体を3次元の振動数で縛っていることになります。

 一方地球は、宇宙的メカニズムの中で、振動数を上昇させている(=エネルギー量を増やしている)といわれています。特に、2010年、11年くらいから太陽活動が活発になり、太陽エネルギーが大量に地球に注がれ、地球は振動数を大きく上昇させる(5次元の振動数に向かう)といわれています。
 そうなると、記憶に縛られている肉体と地球との間に、振動数の大きな乖離が生じます。人馬一体ではなくなります。この場合、前号でも説明しましたが、質量の小さい肉体の方が壊れます。

 上昇していく地球の振動数に、肉体の振動数を同調させていくためには、記憶で肉体を縛らないことであり、そのためには、文明の中での生活から脱出することなのですが、おそらく自力では脱出できないでしょう。
 『シャンバラ』からのメッセージに、「肉体の振動数を上昇させることより、肉体から離れることを、多くの人々が魂レベル(意識体レベル)で選択するだろうことを知っています」というものがありました。魂が肉体を放棄すると言っているのです。これは肉体の死です。
 ジュセリーノさんは、「2011年、太陽フレアの影響で人類の生存がおびやかされる」といった表現をしていますが、これは活発になった太陽エネルギーの照射で、地球と魂が振動数を上昇させるのに、多くの肉体がついて行けないという映像を見ているのでしょう。

 自力で肉体が救えないとするなら、肉体が壊れる前に文明の方に先に壊れて下さいとお願いするしかありません。文明が壊れてしまえば(この可能性は十分あります)、もう記憶を使って生きることはできなくなりますから、肉体の縛りが解かれます。肉体は地球の振動数に同調できるかもしれません。しかし、文明のない社会での生き方をしらないわけですから、肉体の維持は難しいでしょう。

 もう一つの望みを言っておきますと、地球の磁場の消滅とともに人間の記憶も消えるという説があります。この話しは過去のメルマガで取り上げておきましたが、どこまで消去されるのかよくわかりません(認知症と同じように左脳に関係する記憶と思います。ガスコンロが使えなくなっても、右脳が機能していれば絵は描けます)。消去の度合いが大きいほど記憶による肉体の縛りは解けますが、文明の利器が使えなくなるので、文明の中にいる人は生きていけないことになります。
 いずれにしろ、ここまで来ると文明の中にいることが危険だという結論になってきます。

○一歩踏み出せば意識振動数が変わる

 文明を脱出するには、文明にたよらない生活を知っておく必要があります。行き先もわからないまま脱出はできませんし、仮に文明の方が先に壊れたとしても、その後どうしてよいのか判らなければ、また以前の再構築になるだけです。
 生まれ変わっても同じです。今世で知らなければ、来世も知らないところからのスタートです。

 人間の本来の暮らし方は、メルマガでもずっと触れてきましたが、自然の生産力(植物の生長と循環)の中で、基本的な暮らしを成立させる生き方です。自然の生産力の範囲内での消費生活なら、人為的な生産システムがなくても永遠の生活が約束されます。
 文明は、その永遠の生活の上に乗せて使うものです。そういう暮らし方なら、文明は自由にコントロールできます。生きるために、不本意な仕事をするということもなくなり、これによって、文明に自浄作用が働くようになります。

 自然の生産力の範囲内で暮らすという生き方は、一人で実現する必要はありません。そもそも私たちの今の能力では無理です。地域社会がそういう暮らし方になっていれば、その中に入るだけで実現できることなのですが、現時点ではそういう環境はありません。
 したがって、有志でミニ社会(生活グループ、共同体)を作り、そこでそういう生活が出来るようにすることからです。小さな社会の暮らし方が、やがて大きな社会の暮らし方になります。

 自我は、物理的に間に合うことはないと計算するかもしれませんが、意識の振動数という視点で見れば、行動した瞬間に変化しています。これによって肉体が助かる方の世界に入ったなら、理念はやがて現象化するでしょう。『日月神示』には「型だけ作ればよい」という文句が何回も出てきます。型を作ったなら、後は神々がサポートすると言っています。

 最初の話に帰りますが、自我は肉体を守る方向の選択をしているとは言いがたいですから、逆に死ぬことを考えさせた方が良いでしょう。後3年で地球との永遠の別れになるとしたら、自我は何をしておこうとするのでしょう。

 次回は、09年、10年、11年あたりに体験するであろうことと、そこから始まる意識変化を考えてみます。

・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前号での「米備蓄受託サービス」事業にはお問合せくださり有難うございました。事業へ発展させるべくいろいろ考え準備しているのですが、まだ詳細は決定していません。お問合せ下さった皆様へもきちんとお返事していないので申し訳ございません。世の中の情勢をみていると早くしないといけない、と思うのですがこればかりは米の収穫が年に一度のチャンスしかなく、今年は1tぐらいの試験的運用をして、事業化は来年以降かと思います。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  230号 2008. 8/5