**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   227号 2008.5/5

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 前号の話の続きです。人類はなぜ農耕に手を出したのか。しかも、以前より豊かな暮らしにならなかったのに、なぜ元の狩猟採集の生活に戻らなかったのか。この辺りに、今日の私たちがかかえている問題の原点があるようです。

○誰れが人類の左脳を目覚めさせたのか

 人類が農耕を始めたのは1万年前といわれていますが、古代の研究が進むにつれ、農耕を始めた理由が説明できなくなってきます。
 以前は、狩猟採集から農耕へのシフトは、人間が豊かさを求めての自然な流れと考えられていました。しかし、近年の研究では、狩猟採集の時代の方が、物質的にも精神的にも豊かであることが解ってきて、発達史観的な自然な流れでは説明できなくなりました。

 そのシフトの中で最も理解に苦しむのは、今まで自然と一体に暮らし、自然の中から様々な恵みを受けて生活していたものが、一転して自然を破壊する行動(木を伐採し、根を掘り出し、虫を取り除き、雑草を抜く)に出た心理です。考え方が180度変わってしまったのです。何が原因でこんな変化が起きたのでしょう。 その変化を考えるために、まず狩猟採集の生活と農耕の生活の違いを対照しておきます。

(狩猟採集の生活)    (農耕の生活)
・広範囲に意識を向ける  ・部分(農地)に意識を集中させる
・主観的アナログ時間   ・客観的なデジタル時間(暦を使う)
・右脳主体の活動     ・左脳主体の活動
・万物(自然)と同化する ・自然と対立する

 このように対照させて考えると解りやすいと思いますが、ポイントは右脳から左脳へのシフトです(機械的な暦に従って農作業が行えるということは、左脳主体の生き方になったことを意味します)。しかし、右脳から左脳へのシフトは普通には起こりません。幼い子供は、外界を右脳的(アナログ的)に認識していますが、時間が経過すれば左脳的に認識するようになるというものではありません。外からの働きかけ(親や社会からの左脳的教育)があってシフトするものです。
 人類の右脳から左脳へのシフトも、そういう外的な力が働いたと考えるべきでしょう。(農耕以前の人類が右脳人間であったことは、壁画に描かれている動物の向きから判断できます。ほとんどの動物が右向きに描かれており、これは左手で描いたということですから、右脳主体であったといえます。左脳主体になると右利きになります。)

 さて、誰れが左脳を目覚めさせたのか。こういうことは学問の対象ではないらしく考古学では解りません。『旧約聖書』(「エデンの園」の章)では、ヘビが左脳(善悪を判断する自我意識は左脳にある)を目覚めさせたと言っています。ヘビが何を指しているのかは解りません。異星人でしょうか?「エデンの園」では、それまでアダムとイブの意識の基点は全体(集合意識)の中にあって、ヘビの誘導で肉体の方に基点が移動したと書いてあります。意識が右脳から左脳へ移動したということです。

 それと通じるような話を木内鶴彦さん(彗星探索家で臨死体験をよく語っている人)が言っていました。その話を要約しておきます。
 「1万5千年前、地球規模の大洪水があり人類は生きていく手段として自分の食糧を確保する必要が生じた(それまではエデンの園のようにそこら中に食べ物があったということか?)。そこで、それまで集合意識を通じたすべての生命と意識疎通を行っていた人類は、自分が食糧を持っていることを他人に知られないように、集合意識に通じる回路を自ら閉じた。そうすると他人との意思疎通が出来なくなったので言葉を生み出した・・・」と。

 この木内さんの話に従うなら、大洪水によって豊かであった自然が破壊されたので、農耕を始めるに至ったという説も成り立ちます。それが貧しい暮らし方であったとしても、自然が破壊されていたのでは元の暮らし方に戻ることもできません。
 縄文文化(狩猟採集の生活)から弥生文化(農耕の生活)への移行で、同じような説を立てている人がいます。縄文時代は温暖化の時期なので自然が豊かであった(狩猟採集の生活が可能であった)、ところが、急激な寒冷化で自然の恵みが少なくなり、農耕(弥生時代)が始まったのだと。

 地球環境の変化が、人類の左脳を目覚めさせたと考えるのが知的解釈なのかもしれませんが、本当のところはわかりません。まだ謎のままです。
 なお、狩猟採集の生活では、食糧のある場所は右脳の直観でキャッチしたようで、右脳が働かなくなるとその生活は無理のようです。そこで神は、「(右脳の働かなくなった)人をエデンの園においておいてもよくないので、そこを去らせ、土を耕させることにした」と『旧約聖書』に書いてあります。
 かって犬山モンキーセンター(名古屋)のサルが脱走したことがあって、九州から連れてきたサルのグループは、野山の中にいながら餓死しました。これは食文化の違いで、食べ物が発見できなかったのだろうという結論になっていますが、人間も右脳の直観が働かなくなると、食べ物があっても狩猟採集の生活が出来なくなるのかもしれません。

○人類は農耕思想を越えられるのか

 農耕の生産性(エネルギー投下量に対する収穫量)は、狩猟採集の生産性と比較すると一桁ほど低いのではないのかと思われます。そのことは、農耕生活が始まると同時に略奪行為が始まっていることからも言えます。必要な量が生産できないので奪ったのです。
 その略奪も日常的であったのか、遺跡に見る農耕集落にはたいがい掘りや柵がめぐらされています。食の生産もままならないものが、生産には直接関係しない堀りや柵に大変なエネルギーを投下しているわけですから、略奪は相当のものだったのでしょう。

 一つの興味深い結論を言いますと、初期の農耕社会は、農生産によって命をつないできたのではなく、略奪によって命をつないできたと言えるのです。
 このことは、農業社会の出産の多さからもいえます。労働力を得るために、一組の夫婦が5人、10人の子供を作るのが当たり前のようになっている社会ですが、その子供も食を必要とするわけですから、さらに何倍もの農地が必要になります。その何倍もの農地を耕作するには、さらにたくさんの労働力が必要になります。このイタチごっ子は納まるところがありません。現実にはこんな拡大は不可能です。
 結局、増えていく人口の食糧は、労働投下なしに得る(略奪)ということをしなければ経済が成立しません。略奪された側は、食生産だけして食べない(餓死)ということですから、これで多産社会の全体経済が成立します。

 しかし、略奪による経済が受け入れられるはずがなく、略奪に対抗するために集団を大きくすることを考え、農耕社会は短期間の内に国家を作りあげています。

 国家ができ略奪が難しくなると、元々生産量が低いわけですから内部で餓死や間引き(嬰児殺し)が始まっています。
 農耕の生産性の低さは今も解決されておらず、今は石油エネルギー、農薬、化学肥料などが労働力の代わりを務めているだけのことです。事態は益々悪くなっているとも言えます。
 しかも、略奪行為も形を変えて続いています。食糧に困っている国々の主要輸出品が農産物になっています。今も、食の生産だけして食べない(餓死する)という人がいるわけです。

 このような現実を見ると、農耕(人為的に植物を育てる)そのものが根源的に無理な行為なのかもしれません(シュタイナ−農法は、宇宙のリズムにのって行う半人為農法)。『旧約聖書』には、「そこ(土地)から糧を得るのに一生おまえは苦労するだろう・・・」とあるだけで、やがて豊かになるだろうという記述はありません。
 漢字は実にシンプルに、「人(自我=頭)」の「為」すことは「偽」と伝えています。全くその通りで返す言葉もありません。

 ついでながら、農耕(慢性的な食不足)とセットになっている国家は、機械的な仕組みですから、所属する人々に機械性(機械的な時間割、几帳面、誠実、仕事熱心、約束の履行、・・・といったこと)を求めます。これは教育を通して指導されるわけですが、求められていることは「うつ病性質」そのものです。うつ病国民でなければ国家が維持できないとするなら、国家そのものが不自然な存在といえるでしょう。
 狩猟採集の時代には国家はありません。チャネリング情報は国境を取り除くことで(政治がなくなることで)地球の食糧問題、人口問題は緩和されると伝えています。

 今日の地球問題を引き起こしている根本の思想(拡大性、排他性など)をたどって行くと、すべて農耕の暮らし、農耕の思想に行き着きます。そういった思想、価値観を書き換えしないと、もう人類の存続が危ういところまで来ているのですが、農耕思想の破局を肉体で体験してから書き換えるのでしょうか、それとも痛い目に合う前に書き換えるのでしょうか。時間はあまり残されていないような感じがします。

 次回は視点を変え、未来の現実から逆算で今どうするのが良いのかを考えてみます。今回触れた農耕の問題も対応の道筋が見えてくるかもしれません。
 
 

・・・・内輪話ですみません。
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**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  227号 2008. 5/5