**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   213号 2007.4/5

 あらゆるものがそれぞれの収束に向かって突き進んでいるような感じを受けます。今までにない気配です。メルマガも一歩踏み込んだ話に入って行きたいと思います。

 先日、ダイアン・ロビンス『超シャンバラ』(06年初版、徳間書店)を読みました。
 「シャンバラ」とは、昔からチベットの奥地にあると言われていた理想郷の都市名です。先の本によれば、それは地球内部にある120ほどの都市(コロニー)の中の代表的な都市の一つだと説明されています。

 この話し、どこから説明したらよいのか大変困るのですが、『ラムサ・真聖なる預言』(95年初版、角川春樹事務所)では次ぎのように言っています。
 「・・・主よ、限界のない思考を持つことです。あなたの世界は丸いことを知りなさい。でも、自分の真実においてさらに限りなくありたいと願うなら、その上と下が平坦であることを知りなさい。さらに限りなくありたいと願うなら、その内部が空洞であることを知りなさい。そして、それよりもさらに限りあらんと願う者と、地球の中心にはたくさんの生き物が棲んでいることを知りなさい・・・」と。

 『超シャンバラ』では、太陽系にある球体はすべて空洞になっていると言っています。昔、NASAにいた科学者が、月は空洞だと発表したことがあります。衝撃によって発生する振動波の減衰パターンから言うと、月はサッカーボールのような中空の物体としか言い様がないと。
 地球が空洞だという説も昔からあるのですが、三次元的に空洞なのか、それとも別次元的に空洞なのか、その辺りのことが今一つよくわかりません。
 ここでどうしても必要になってくるのが、別次元という概念です。今後出て来るであろう様々な情報は、次元という概念がなければ判断できなくなるだろうと思います。そのことから有料ページの方で、「意識の振動数を変えれば地球の災難とは無縁」というテーマでシリーズを書いているのですが、今号のメルマガでシリーズ(3)を紹介します。『超シャンバラ』に書かれている物理学もそれと同じです。眉唾で結構ですから、おつき合いください。

意識の振動数を上げれば、地球の災難とは無縁(3)

〈 今、共同体を作る意味 〉

 今回の話しは三次元(物質界)における振動数と物現象(運命)の関係についてです。

 宗教では信仰の道に入ると「大難が小難になる」とか、「骨折がかすり傷で済む」とか言います。『日月神示』では「・・・改心できれば大難が小難となるのぢゃ、やらねばならん、戦は碁・将棋くらいの戦で済むのぢゃ・・・」とあります。信仰、改心というのは、自我意識(生まれてから築き上げて来た自分という人格)を無くすことです。
 また、「この道に入ると、損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、それは大難を小難にし、また、めぐりが一時に出て来てその借銭済しをやらせれているのぢゃ・・・」とあります。

 このようなことは普通には聞かないことでしょうが、現象(現実)はすべて魂意識が作り出しているものであって、魂の意向は絶対に止められないということです。そして、損、病気、怪我・・・といった不都合な体験を大きく現象化するのが自我意識だということです。これが宗教でいう宿命と運命の関係で、運命は変えられるという理由でもあります。

 なぜ自我意識が不都合なことを拡大するのかと言いますと、まず結論を先に書いておきますが、自我意識は破壊的な意識であって、そこに魂意識の破壊的な体験意向が重なると、波動(振動)の相乗効果によって大きな現象になるのです。
 なぜ自我意識が破壊的な意識かというと、魂意識から分離したことによってそうなりました。魂意識は他と融合して集合意識を形成します。そして、現象化の主導権は集合意識の方にあります。そんなことは認めないといってもエネルギーの絶対量が全然違います。自我意識に集合意識の方向性を変えさせることはできません。自我意識は集合意識とコミュニケーションがとれないわけですから、どんな建設的なことを考えようと、集合意識の側から言えば破壊者なのです。偶然同じことを考えたとしても、タイミングが合わなければやはり破壊です。

 わかりにくい話しですが、例えば全員で農地を作ろうとしている時、一人その場所に生ゴミ用の穴を掘る人がいたなら、それは有用に思えても農地を作るという全体計画から言えば破壊行為です。集合意識と自我意識とはこのような関係だといえます。
 そう言う中で、魂意識が破壊的なことを体験しようとすると(破壊的な波動を発すると)、自我意識の破壊的な波動と重なり現象を大きくしてしまうのです。

 ただし、自我意識にも破壊度の大小があって、思考枠が狭いほど破壊度が大きく(集合意識からより離れた意識)、思考枠が広くなるに従って破壊度は小さくなります。これは意識の振動数の差として出て来ます(ただし、まだ意識の振動数を測定する方法なはないのですが、脳波を計ることで相対的な判断はできます)。
 また量子力学のいうように意識には物質の在り方を決定する力がありますから、自我意識が強いと(意識の振動数が低いと)魂にその計画がなかっても不都合な現実を作り出します。

 肉体は魂(集合意識)に沿うようになっていますから、自我意識が強いと二つの振動を受けることになり不調和をきたし、病気をつくりやすくなります。また、意識は「波長同通の法則」(同じ振動数のものと共振する)が働きますから、自我意識が強いと破壊的な現象(事故、怪我、自然災害、火事、損・・・)に巻き込まれやすくなります。

 以上にような法則を知っておきますと、どうするのが安全につながるのかがわかります。つまり自我で安全な方法を考えることではなく、自我意識を出さないことが最高の安全につながると言えるわけです。
 しかし今の自我社会(自我人格を前提にした社会)において、自我意識を出さないというのは無理な話しです。そこで次善策として言えることは、自分よりもう一つ大きい人格で生きることです(思考枠が大きくなれば破壊度は小さくなります)。これは今の自我社会でも可能です。

 例えば、家庭を持っている人なら、常に家族の立場(枠)で考えるのです。家族人格で生きるのです。
 中小企業のオーナー社長は、たいがい会社人格で生きています。会社が自分であり、自分か゛会社という意識です。私の叔父もそういう人で、自分のこと以上に会社を考えています。自分の持ち物はどこに置いたのか忘れても、会社の持ち物を忘れるようなことはありません。何十年も前に買った倉庫の隅にある小さな部品でも忘れていません。
 自分がどの意識枠で生きているかは、窮地にたったときよくわかります。中小企業の社長などは、躊躇なく自分は罰を被ってでも会社の方を守ります。自分の生命保険を使って会社を助ける人もいます。

 昔、人の意識の振動数が読み取れる足立幸子さんという方がいたのですが、その方の「あるがままに生きる」という本の中に、中小企業の社長は既して意識振動数が高いと書いてありました。会社人格で生きている人は、自分人格で生きている人より意識が高いと言えるようです。

 「癒しの郷」のような共同体に暮らす場合は、意識枠の拡大が容易になります。共同体は元々自我人格を使わない世界ですから、つまり、共同体が自分であり、自分が共同体というグループ人格を生きる世界ですから、一般社会にくらべると自我は出なくなります。

 建設中の1号村にしても、自我人格(自我氏名)を出さなくても生活できるようにしています。近所の人に出合っても「中野さんの所の者です」と言えば話しが通るようにしてあります。いずれ「屋号」ですべてが処理できるようにしたいと思っています。
 以前メルマガに書いたと思いますが、田舎では屋号で呼び合っています。「○○屋です」と屋号を言えば当人をしらなくてもきちんとした対応をしてくれます。全く自我氏名を出さなくてもよい世界です。

 会社の社長が自我人格を出さなくて済むのは、他者には誰であれ会社名を名乗って通してしまうからです。そうしておけば、偶然であったような時でも相手が会社名で呼び掛けてくれるので自我人格を出すことがありません。
 共同体が屋号を持つ事は、自我意識を出さなくする基本的な方法です。それぞれ○○屋の太郎、○○屋の花子・・・を生きる時、全員が○○屋の共通人格を生きるわけですから、ルールや約束事を必要としない暮らしが実現します。

 さてここからが本論なのですが、グループ意識でくらす共同体を作ったなら、どんな天変地異が起きようと大きな被害は受けないかもしれません。
 改めて「旧約聖書」の「ノアの洪水」の章を読んでみましたが、やはりそうでした。最初に「・・・ノアだけは義(ただ)しい人、全き人であった・・・」とあります。そしてこの行には注釈があって、「神を信じその意思に従って生きる人間の意で、必ずしも道徳的に完全な人間という意味ではない」とあります。

 ノアの家族は、方舟によって助かったのではなく、意識振動数によって助かったのだといえるでしょう。すべてが死滅するような大洪水の中で、素人の作った方舟が耐えられるはずがありません。方舟は動物が逃げないようにするための囲いのようなもので、すでに次元的に安全なところにいたと言えます。
 以前「ヒマラヤ聖者の生活探究」という本を紹介したことがありますが、「回りは大嵐なのに、大師のテントのあるところは穏やかであった・・・」とありましたが、ノアの方舟もそんな状態にあったのだと思います。

 ノアのように集合意識のままに生きることは難しいですが、グループ意識(共同体意識)で暮らしていれば、何が起きても致命的なことにはならないでしょう。
 仮に共同体のハードが壊れたとしても、それは大きな問題ではありません。次ぎの世(エーテル界地球)は、イメージが形になる世だそうです(物質の振動数の上昇によって生まれる新しい物理法則)。イメージを描き出すのは魂記憶です。魂記憶は五感を通した体験で得られる記憶ですから、今、共同体を建設するという体験をしておけば、次ぎの世でも共同体を得たのと同じことになるのです。

 参考までに、そういう次元で服を作る方法を説明したものがありましたので紹介します。「心の中で型地やシルエットをはっきり決め、目で見るように思い描いてから、願望の力でその型のまわりに思考界の希薄な素材を引き寄せれば、それが実際の服になる」と。イメージを描く部分で、素材の感触だとか、重量感だとかの記憶がないと描ききれません。これは今の世でも同じです。私がデザインするときは、ほとんど重量感のバランスを整えるということだけやっています。この意味で素材の重量を知るという五感体験が重要になってくるのです。
 今、共同体を建設する体験をしておけば、次ぎの世でも共同体を作れるというわけです。

 余談ですが、次ぎの世(エーテル界地球)は、階層社会になるらしく、階は13層だという話しもあります。9割方の人はまず一番下の層にシフトし、新しい世界を体験しながら、順次上位層に移動していくらしいです。そして、中位層ぐらいの暮らし方が共同体の生活になるとか。今の世で、グループ意識で暮らす共同体にいる人は、ほとんど何事もないままエーテル界地球にシフトできるそうです。

・・・・内輪話しですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
相次ぐ地震、台風1号の発生、黄砂の大量飛散、異常気温・・・、このおかしな地球が当たり前になりそうです。人間のエゴで今まで何度地球を壊してきたのでしょうか。神様は大洪水だけでなく、いずれ地球自体を爆発させて、人類も地球も御破算にするのではないかと思っています。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  213号 2007. 4/5