**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   210号 2007.1/5

 2007年、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
 新年最初の号は、日本のコミュニティ社会の未来を展望してみたいと思います。

 先ず前置きをしておきます。今の日本て共同体を必要としている人が低く見積っても3千万人ほどいると思われています。これは物理的(経済的)に必要としている人で、内訳は以下のようになります。数字は大づかみですが、そんなに誤差はないでしょう。

・ニート・フリータ−・・・500万人   すでに中年以降の生活がない
・ワーキングプアー・・・1000万人   暮らし方を変えるべき
・低額年金受給者・・・・・500万人   節約だけでは無理
・過疎地域の人・・・・・・750万人   効率のよい暮らし方が必要
・生涯単身者(23%)・・3000万人   晩年一人では生きられない
・その他の弱者と言われる人・・500万人

 以上の合計人数は6千万人を超えますが、重複カウントされている人などが半分いるとしても、なお3千万人という数になります。もし国家財政が破綻しハイパーインフレになれば、現金生活者の大半がワーキングプアーになるでしょう。
(60年前のハイパーインフレの時は、大半の人が農業生活者で純粋な現金生活者は少数でしたから、都市の人はモノを農家に持って行って物々交換で食糧を得ることができました。しかし今は、国民の大半が現金生活者でありモノは全国津々浦々まで行き届いています。現金が紙屑化したとき、何をもって食糧と交換するのでしょう。仮に交換物があったとしても、食糧自給率は40%ですから、農家に行っても全員に食糧がある訳ではありません)。

 今、夕張市の財政破綻が話題になっていますが、これは国家財政を考える良いサンプルです。少しデータを並べてみます。

・夕張市  収入45億円、借金 630億円(収入の14倍)破綻
・政府   収入45兆円、借金1200兆円(収入の26倍)

 もう少し細かく言いますと、今年度の政府の収入(税収)は戦後最長の好景気と言われる中で、50兆円ほどありますが、大勢を変えるようなものではありません。借金は公表されているもので国が850兆円、地方が230兆円です。これに第3セクターである特殊法人などの借金を入れると、1200兆円だとか、1400兆円だとか言われている訳です(年金基金には800兆円の債務超過があるという計算もあり、それを入れると2000兆円になる)。

 これから夕張市は20年計画で借金を返済していく訳ですが、630億円返済するのではなく、地方債などを除いた360億円です。収入の8倍分です。それだけのことで学校は1校に集約するとか、市民病院は廃止するとか、公務員給与は30%カットだとか・・・になる訳です。
 政府が借金を返済する場合、肩代わりしてくれる機関はないですから、丸まる1200兆円を返すことになります。収入の26倍です。もし本気でそんなことをすれば、国民全員が数十年夕張市以下のサービスしか受けられなくなります。返済プランなど立てられるはずがありません。しかも借金を止めもせず毎年増やし続けているのです。

 ではどういう結末になるのかというと、一番可能性が高いのは、国債を引き受ける人(お金を貸してくれる人)がいなくなるパターンです。常識的に誰もが思うことでしょう。ここまで来るとその常識が一番確かです。
 国債の引き受け手がいなくなったとき、国債の利率を引き上げることで資金調達をします。利率を引き上げると歯止めがきかなくなって、利率が10%にもなるともう紙屑と同じことになります。以前の国債を引き受けていた銀行や保険会社などは倒産。国債の利率引き上げは、回りに回って物価上昇を招き(このときはハイパーインフレになる)、政府発行の紙幣も紙屑化します。一つの時代の終わりです。私たち全員がワーキングプアーになる時です。

 政府の借金は、夕張市の3倍ですから、本来なら私たちは借金返済の耐乏生活を60年しなければならないのです。それを一括精算する形になりますから、苦しいとかの話しではありません。命があったら幸せという状態でしょう。金融資本(お金)へ依存しているほど被害は大きいです。
 この後新しい政府が作られるでしょうが、経済は大幅に縮小していますから、以前のような税収(45〜50兆円)はありません。20〜30兆円がやっとでしょう。破産の後、すぐに借金できる訳ではないですから、20〜30兆円が国家予算です(現在の予算は80〜85兆円)。これでは国家を維持するのがやっとで、国民サービスなどゼロに等しいでしょう。夕張市どころの話しではありません。

 さてここからが本論ですが、今一度、人間の暮らし方を考えてみてはどうかと思います。人間の物理的生活というのは実に単純で、以下の三つの支え(元手、資本)で生きているだけです。

1. 自然資本・・・・・自然の恵み
2. 人間関係資本・・・人との共同関係、セーフティネット
3. 金融資本・・・・・お金

 厳密に言えば、さらに人的資本(自分の体力、能力)、物的資本(道具、社会インフラ)もあるのですが、話しが複雑になるだけですから省略します。
 ロシア人のダ−チャ(自家用農園)を持つ生活は、金融資本と自然資本の二本立の生活と言えます。国家破産とハイパーインフレの中でも生活を支え続けることが出来ました。非文明地域の少数部族は、自然資本と人間関係資本のみで何万年も生きています。
 今の私たちは金融資本のみで生活していますが、お金にはインフレがつきものですから、便利な資本ですが危険な生活でもあります。本当のお金持ちで、金融資本一本という人はいません。欧米のお金持ちは、農園(自然資本)を買って田舎にも生活の場を作ります。長い産業社会の中で金融資本のはかなさを知っているからでしょう。

 そのように考えると、私たちの手掛けている自給型コミュニティの生活というのは、自然資本、人間関係資本、金融資本の三つを組み合せた暮らし方と言えるでしょう。人間として実に正常な暮らし方だと思いませんか。しかしあまり大きな声では言えないのはなぜでしょう。多分、きちんとした広報活動が出来ていないからでしょう。社会認知されていないのです。

 今私は、日本のお金持ちに共同体投資してもらう方法を考えています。金融資本を新しい自然資本に転化してもらう方法です。
 日本にはコテッジャ−(賃金農民)がいないので、農園は買えません(農地を買っても原野に戻ってしまいます)。しかし、自給型共同体への投資なら、自然資本に転化したと言えるのではないでしょうか。おそらく、日本でお金持ちが金融資本を自然資本に転化する唯一の方法だと思います。ゴルフ会員権を買うのと同じような形で、自給型コミュニティに投資してくれたなら、全国にコミュニティの器ができます。そういう器があれば、先に揚げた人達は(ことによっては皆さんも)生き方のシフトができますし、政府が破綻しても国家の根底を支えることが出来ます。

 これは夢のような話しではなく、ちょっとした方向転換、単純な仕組み作りで可能だと思っています。
 例えば過疎の自治体が意味のないハコモノ(財政破綻すれば閉館になるようなもの)を作るのをやめて、自給型コミュニティのベースを作ったらどうでしょう。地元の建設業者が困ることにもなりません。そこに冒頭で紹介したような人を招き、その人たちに労働出資という形でコミュニティを完成させて貰います。
 完成したところで、自治体はコミュニティの権利の一部をお金持ちに売ります。これで自治体は事業費が回収できるので、次ぎのコミュニティを手掛けます。過疎の自治体は人口補充はできるし、耕作放棄地は活用できるし、農水省としては食の自給率が上がることになり、公安は治安が保てるで、誰も困ったことにはなりません。
 初期の頃のメルマガで、コミュニティ連合社会の話しをしましたが、決して雲をつかむような話しではないのです。

 そしてこれは新しい経済をも生み出します。貿易立国という危険な経済の中を生きなくても、自然の生産力を活用した平和な経済が生まれます。これも貿易を止めろというのではありません。グローバル経済の中で勝ち残っていける人たちは、それを続ければよいのです。新しい経済の中で生きようと思った人だけがそれに参加すればよいわけです。誰にも不都合はないでしょう。
 国家レベルで考えた時、ある人たちは金融資本を基本にした生き方をし、またある人たちは、自然資本を基本にした生き方をし、国家全体としては特定資本に特化しない安定した姿だと言えるでしょう。

 このような社会を作るのに何が必要なのかというと、先ずは知らせるということ、広報活動でしょう。夕張市の農村に、ロシアの人たちがやったように集落を株式会社にしてはどうですか、と言っても疑いの目を向けられるだけでしょう。同じ共産主義の崩壊した国でも、新しい暮らし方を実行したのはロシアだけです。東欧諸国は土地が個人の所有になったに過ぎず、零細な農家の乱立となって苦しんでいます。
 中越地震で地滑りが多発した(土地の境界がわからなくなった)旧山古志村でも、所有権の共有化などテーマにもならず、無人化に向かっています。

 まずは新しい世界(暮らし方)を知らせなければなりません。予備知識ぐらいは持ってもらっていないと、財政破綻というチャンスが訪れても、手の差し伸べようがありません。新手の宗教ではないのかと拒否されるだけでしょう。今年はさらなる広報活動を考えたいと思っています。政府の財政破綻は避けられないと思う人は、早々に「やって見せ」の段階に入ってください。「百聞は一見にしかず」ですから、相当の広報活動になります。それほど余裕のある話しではありません。

・・・・内輪話ですみません。
いろいろな予言では、昨年結構危なかったようですが、難をのがれたのか、予言が遅れているのか、日本では大きな被害は少なかったように思います。今年はどんな年になるでしょうか。小難の多発、大難の一発、どちらも無いにこしたことはありません。まずは自分が健康で、家族が円満に過す、当たり前の幸せに感謝出来る年にしたいと思います。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  210号 2007. 1/5