**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   207号 2006.10/5

 ここ最近、いくつかの興味あるテーマに出くわして、それを整理しておくのに手をとられています。どれも共同の暮らしに関係あるテーマで、今号ではその一つを簡単に紹介しておきます。

○共同体は右脳記憶を使って暮らす

 最近のことですが、ネアンデルタール人は相互扶助社会を形成していたという話しに2回出会いました。最初のときは関心がなかったのか雑誌名の記憶もありません。2回目はコリン・ウィルソン『アトランティスの暗号』の中で出会いました。

 相互扶助社会説の出所ですが、イラクの洞窟で落盤事故で死亡したと思われる数万年前の人骨が発見されたのでが、人骨から判断すると重度の障害であったようで、誰かのサポートなしではその年まで生きられなかったはずだという説を発表した学者がいるらしいのです。
 その説に対し、コリン・ウィルソンは、ネアンデルタール人が右脳人種だからこそそういうことが出来たのだと見ています。一般に古代人は右脳人間であったようで、それは洞窟などの壁画が左手で描かれていることからそのように言われています(動物の向きでどちらの手で描かれたかがわかります)今日でも右脳が活発に働く人は左利きが多いと言います。

 コリン・ウィルソンという人はよく知らないのですが、150冊ぐらいの著書のある人で、在野の異才という形容が相応しい人のようです。25歳の時の処女作『アウトサイダー』は古今東西の天才的な人を論じたものだとか。『右脳の冒険』は、日本でも翻訳されているとかで、脳については詳しい人のようです。

 
 ここで右脳、左脳の話しになるのですが、一般に右脳はパターン認識やイメージ処理を担当し、左脳は言語処理や理論などを担当していると言われています。さらに言えば右脳は魂や集合意識と同通しているとも言われています。
 また、左脳の認識は自覚できますが、右脳の認識は自覚できません。以前ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』という大作を紹介しましたが、その中に「認識の中に認識我を認めよ」という啓示を受けたという話しがありましたが、この認識我、つまり自我は左脳の中にあると言えます。自我は論理的に思考し、言語で主張しますから、左脳の産物でしょう。

 ではなぜ右脳人間が相互扶助社会を形成できるのかということですが、右脳は何かを見た時写真を撮るように全体を均一に記憶します。同じ物を見ればAさんの記憶もBさんの記憶も同じになります。しかも、右脳には自我(個我)が存在しないのですから、右脳人種には自他がないことになります。目の前にいる重度の障害者は自分なのです。
 右脳人間であるネアンデルタール人にとっては、部族の全員が自分自身の身体の一部のようなものだ。自分の身体の一部が障害を負って動けなくなったからといって、これを切り捨ててしまうことなで彼らには想像もできなかっただろう、と言っています。

 また古代の巨石建造物は、右脳人種ゆえに造ることが出来たのでは無いかと見ています。心が一つなのだから、100人集まれば200の腕、200の足を持つ巨大な生物のような働きが出来たと。
 ところがある時から右脳から左脳にシフトして行き、バラバラの個人になり、巨大なものは作れなくなったと『旧約聖書』(「バベルの塔)に記してあります。また、右脳から左脳へのシフトは「知恵の実」を食べたからだと「失楽園」の章に書いてあります。これらのことはせいぜい何千年か前の事に過ぎないと『神々の沈黙』にも書いてあります。

○右脳を活発にさせる

 現代の私たちは全くの左脳人種になっています。左脳による記憶は「点」記憶だと考えれば分かりやすいでしょう(右脳は「面」記憶と言えます)。左脳は焦点を当てたところをクローズアップしてみるのですが、元来「点」なのです。その「点」の取り方は人それぞれですから、左脳人種は同じ風景を見ても共通データが蓄積されるわけではありません。
 したがって私たち左脳人種の作る集まりには絶対秩序(手を離してしまえば自動的に全員同じライン上に戻るような秩序)が存在しません。そこで、ルールとか約束とかを取り決めるわけですが、それは効率を悪くし、ストレスを発生させるものとなっています。

 テーマとしている共同の暮らしにおいては、右脳による共通記憶を作っていく必要があるだろうと思っています。
 その右脳記憶の作り方ですが、本来実に簡単なことです。何も考えずボーとして眺めているときは、右脳記憶になります。ところが現代の私たちは何も考えずただ眺めるということが出来ません。出来ないように親や先生に教育されたからです。何があった? どうだった? とすぐ尋ねられます。言葉や文字で答えなければならないのだとなると、左脳で物事を記憶せざるをえなくなります。テストは左脳を活発化させるだけのことです。

 右脳を働かせる方法として、昔から行われていたものに、教えないで見て学ばせるという方法があります。徒弟制度の中で用いられていました。
 この学習原理は、右脳が得意とするパターン認識を使うものです。同じような世界をたくさん見ていればやがて共通項が発見でき、自然にその世界の法則をマスターしてしまうというものです。

 例えば、作庭家を育てようと思ったなら、子供のときからすぐれた庭と自然をひたすら見せるのです。何も説明しません。何を見たのか問いただす事もしません。そういうことを20〜30年続けると立派な作庭家が育ちます(もしこんな教育を受けた人がいたなら会ってみたいのですが)。
 このような教育を受けた人は、樹木の名前も石の名前もしりません。左脳社会では無知ということになりますが、この人はどんな条件下であろうと、すぐれた庭を作ります。しかも庭だけでなく多くの分野で同じようなことができます。「一芸は万芸に通ず」の世界なのですが、これは右脳を使ったときの成果です。

 今日の教育のようにこれが黒松、これが楓・・・といったような教わり方をすると、左脳が働いてそれ以外の木は見えなくなります。踏み石は「大、小、大、小、中、中、大」と並べるのがベストだと教わると、それ以外の配列は出来なくなります。
 ところがこのような教育を受けた人は、言葉や文字、数字で説明が出来る有能な人と言われます。これが左脳社会です。だから短命で終わってしまうのだと言えます(古代の右脳社会は少なくとも数十万年続いているが、左脳社会は数千年で終わろうとしている)。『老子』(80則)は、「小国寡民、什泊の器(抜きん出た才能)は用いず・・・」と言っています。
 また「結縄而用之・・・」とあるように、縄の結び目をサインとした文字(左脳)以前の社会(右脳社会)を理想としており、左脳の自我的知識を基本にするとコミュニティは壊れると見ています。
 老子と言う人は右脳、左脳の働きをよく知っていたのか、31則では「・・貴人たちは普段の生活では左を上席とし、戦いに出れば右を上席とする・・」といったことが書かれています。ほとんど解釈不能と言われている部分ですが、左を左脳、右を右脳と考えれば言っていることはよくわかります。

 右脳は全体を知る脳であって、共同の生活をするためには総べての人が共通する全体を知っておく必要があります。その上での左脳知識です。しかし左脳人間となった私たちは右脳がほとんど活動しません。さてどうしたら良いのかという難問に突き当たるわけですが、「習うより慣れよ」で、まずしばらくは何も考えず、何も言わず、ボーとして共同の世界で暮らして頂くしかないと思ってまいます。この辺りのことは今後深く研究したいと思います。

・・・・内輪話ですみません。
リアル「癒しの郷」出資者メンバーでエコビレッジの研究をされている方からタイのバンコクで開かれるエコビレッジの国際会議に日本代表で出席するので、その際、日本のエコビレッジの一つとして「癒しの郷」も紹介したいので資料が欲しいという請求があり、急きょ資料ページを作りました。リアル「癒しの郷」のスケッチと将来計画のイラストを入れていますので、御覧ください。http://www.geocities.jp/kumonoito_2/do.htmlまた10/28からは東京でもエコビレッジの国際会議があるそうで、そちらにも出席されるそうです。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  207号 2006. 10/5