**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   206号 2006.9/5

 「共同の暮らしを作るために」というテーマで、あれこれ取り上げていますが、今回は「共同の暮らし」は国民にかせられた差し迫ったテーマではないのか、ということを最近の新聞記事を題材に考えてみます。

〈 人口減少期に起きる問題 〉

1. 増える高齢者のサポートを誰がするのか

 日本の人口減少は、子供が少なくなることで始まっていますから、相対比で高齢者の割合が高くなります。しかしここしばらくは絶対数でも高齢者が増えることになるのですが(突出した人数の団塊世代が高齢者になっていく)この高齢者のサポートを誰がするのか、未だルール化されていません。これは大変な問題になると思います。

 まだ団塊世代が高齢者になっていない今の時点でも、沢山のトラブル、不幸が生まれています。8月26日の地方紙(「山陽新聞」)に、神戸であった介護殺人事件の判決の記事がありました。これは認知症とパ−キンソン症が絡んだ事件なのですが、私も老親を介護している身であり、こういう事件を聞くたびに複雑な気持ちになります。
 介護の負担、ストレスは24時間、365日休みがない(精神的に休みのない事の方が辛い)ことにあります。二人暮らしだと、片方がその負担を一手に引き受けることになり、介護殺人、介護心中はたいがいそのケースの中で起きています。
 しかも介護問題の複雑さは、介護の終結で必ずしも事が終わらない事にあります。介護をした人のその後の人生を狂わせてしまうことが多いですが(介護退職、介護離婚、親族との感情的しこり・・・など)、解決、サポートなどの方法はルール化されていません。

 介護が特定の1人に集中してしまうのは(親族が何人いても1人になってしまう)、暮らし方、住まい方の問題です。小さな世帯で独立するようになったことが主な原因です。
 介護は直接タッチしなくても、見守りをするというだけでも大きな作業になりますから、同居生活者が多いということだけでも、1人への集中が避けられます。見守りなどは親族でなくても出来ることですから、同居者は誰でもよいのです。介護は「遠くの親戚より近くの他人」の世界です。

 団塊世代が高齢者になる時には、もっと世帯規模を大きくするような暮らし方を実現する必要があります。前号でコハウジングを取り上げましたが、もっと小規模な暮らし方もあると思います。
 何世帯かの人が、一つの生活グループとして一緒に暮らす(隣接して暮らす)ためには、不動産の所有(所有権)という概念を超越しなければなりません。このことが総べてです。

 今、郊外の住宅団地で空家問題が起きていますが、今後空家は増える一方で、半分以上が空家といったことになるのも時間の問題でしょう。これは治安問題に発展します。
 これの解決は、結局所有権を利用権に切り換えて、入口部分から順番に、空きのないような住居利用にして、奥に残った住居は用途廃止するしかありません。
 虫食い状態にしないでまとめていくと、管理面積は減りますし、使わない所はバリケードを設けて部外者の立ち入りをストップさせることもできます。縮小の方法はこれしかないのですが、まだルール化されていません。こういう作業の中で、コハウンジングとは別の共同の暮らし方が生まれるかもしれません。

○尊厳死も選択の一つ?

 8月25日の新聞に(テレビニュースでも伝えられていた)、作家の吉村昭さん(79歳)が、尊厳死を選択したという衝撃的な記事がありました。
 病院でのガン治療が思わしくなく自宅治療に切り替えたらしいのですが、数日後自らの手でカテーテルポートを取り外し、介護をしていた長女に「死ぬよ」と告げて数時間後に死去したということです。吉村氏は終末医療には否定的であったと解説がありました。

 この吉村氏の記事を読んで、ノエル・シャトル『最後の教え』(青土社1800円)という本を思いだしました。書評のダイジェストしか読んでいないのですが、これは92歳の元気な母から「何月何日に自殺する」と告げられた娘さんの手記です。娘さんは大変ですが、遺品を整理し1人1人にメッセージを残していく死に方には、何か美しさと潔さを感じます。
 小世帯の暮らし方を是とするなら、一方にこのような死に方の哲学が必要かもしれません。共同の暮らしはしたくない、身体が不自由になっても死にたくない、この両方が通せる時代ではなくなりつつあります。

2. 次ぎの世代をどのように育てる?

 20世紀の始め、インドで狼と暮らしていた子供が発見されました。その子供はヨーロッパの医師に引取られ社会復帰の教育を受けたのですが、死ぬまで(若くして死んだ)生肉しか食べなかったとか、夜行性であったとか・・・が記録に残っています。「すり込み」といえば鳥類がよく知られていますが、人間にも相当強く働くようです。

 このようなことからも、人間が社会の中で(人間グループの中で)生きるなら、生まれたとき社会の中ですり込みを受けるしかないと言えます。ところが今日のような小さな世帯、孤立した世帯に生まれると、物心がつくまでの間、母親としか接したことのない子供もかなりいる訳で、この人達は社会性というデータがプリントされていないことになります。
 今、問題化している「ニート」にしても、世帯が小さい(兄弟がいない、老人がいない)ことと無縁ではなさそうです。

 8月24日の新聞記事(「読売新聞」)ですが、ニートの中に発達障害者(アスペルガー症候群など)が含まれているという調査結果が出た為に、支援策を見直すとありました。
 UFJ総合研究所の調査(『若年者のキャリア支援に関する実態調査』)によると、求職活動をしない理由として以下のような結果になっていました。

 A. 人付き合いを上手くやる自信がないから・・・・33.6パーセント
 B. 健康上の理由から・・・・・・・・・・・・・・29.3パーセント
 C. ほかにやりたいことがあるから・・・・・・・・28.3パーセント
 D. 向いている仕事がわからないから・・・・・・・25.4パーセント
 E. 自分の能力、適性がわからないから・・・・・・22.6パーセント

 以上のD、Eなども社会とのかかわりが少なかったことが関係しているとも言えます。
 小さな世帯に生まれる数少ない子供を、正常な社会人として育てていくには、少なくとも子供の間はコハウジング団地のような環境で暮らす必要があるでしょう。精神世界の考え方では、子供は社会全体で育てるものだとなっています。

3. 生活技術(生活文化)をどう継承するか?

 最近、「おばあちゃんの知恵袋」的な本がたくさんありますが、こういう本が必要になったということは、生活技術の継承がうまくいっていないということの表れですが、文字で伝えられる技術は限られています(文字の限界性については、『荘子』天道篇の車大工の話しが有名です)。文字では伝えようのない膨大な量の技術、ノウハウは消滅しているということです。

 生活技術、ノウハウの大半は一定人数の多世代集団でなければ継承できません。世帯が小さくなったことで、多くのものを失ったのですが、失ったということも分からない状況になっています。この問題は、機会を改めて考えたいと思います。

・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近の内輪話はリアル癒しの郷の話題ばかりですみません。このリアル癒しの郷の情報はまだ一般にはクローズドにしています。もう少し建設や生活が軌道に乗れば、新たなサイトを作って皆様に紹介したいと考えています。しかし作り上げられたモノは結果しか見えません。真剣に共同の暮らしを考えている方には、プロセスの中にある癒しの郷を見せてあげるのが一番勉強になると思っているのですが、良い方法が見つかりません。私共は現実の作業が忙しく、案内し説明する時間もありません。見学の申込みを頂きながら、お断りさせて頂いている皆様、申し訳ございません。少し落ち着いたら、何らかの方法を考えたいと思っています。ところで出資者メンバーの皆様、出資者ページを御覧下さっていますか。メンバーのアドバイスにより、今回はアドレス書きましたので、お立ち寄りください。なお、IDPWお忘れの方はメールでお問合せください。
・・・・http://www.kumonoito.jp/kabumember/renraku.html


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  206号 2006. 9/5