**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   203号 2006.6/5

 「共同の暮らしを作るために」というテーマで考えています。前号で、分業(分担)を作業プロセスを分割するのではなく、生活全体を要素分割して一つの要素を一人の人が通しでやってしまうという分業方法を紹介しました。「おばあさんは川に洗濯に、おじいさんは山に柴刈りに・・・」という分業です。

 共同の暮らしを躊躇させるのは、他人と接触することの煩わしさでしょぅが、要素分業を行うと人と接触しなくても生活出来ます。おばあさんが洗濯したものをおじいさんが引き取りに行くような分業を行うと(これが今日の分業スタイルですが)、人と接することが多くなります。しかも何時までには終えていなければとなり、ストレスが発生します。

 共同の生活においては、それぞれの作り出した生活機能が利用出来れば良いのであって、必ずしも人と接する必要はありません。個人的に実験しているのですが、要素分業を徹底して行えば、人と全く接することのない共同生活もありそうです。
 一つだけたわいもない例をあげますと、私は今年年初に亡くなった伯母の残したネコを成り行き上世話をしているのですが、私は毎日餌を運んでいるだけ、ネコは毎日食べるだけで、私とネコはいつも会っている訳ではありません。ネコにとっては一定場所に餌があるという生活機能が整っていれば良いのであって、私と会う必要はありません。私もネコに会う必要はありません。生命に対しての友情で餌を運んでいるだけです。

 さて今号では、グループの秩序・平安を作り出す方法を考えてみたいと思います。メルマガも相当進みましたから、かなり踏み込んだ話です。

○共同の暮らしの全体像を思い続ける人が必要

 モノは大切にすると長持ちします。大切に思うものは丁重に扱うので壊れ難いという面もありますが、原因はそれだけではありません。生け花のようなものでも大切に思うと花が長持ちします。これなどは触らない訳ですから、丁重は関係ありません。これには精神的なものが大きく関わっています。
 モノは形になった瞬間から壊れる方向に進みます。物理学的に言えばエントロピー増大の法則です。それを遅らせるのは、形を保とうとする思いです。そのモノに意識を向けることで、量子力学の原理が働きます。意識が物質の在り方を決定するという法則です。

 共同の暮らしの平和と発展を望むなら、そういう状況を思い続け、描き続ける人がいれば良いのです。そういう人がいる限り、共同の暮らしは快適な状態を保ち続け、いなくなればやがて壊れます。これは大変重要な部分なのですが、自我には全く理解できない事のようです。近代以降、この原理を組み込んだシステムはありません。それゆえに近代以降のモノは、不安定で短命のように思えます。

○イメージ(思い)を守る方法

 人間が何かを作り出す場合、まずイメージを固定する作業から始まります。一般にはスケッチしたり、単純なモデルを作ったり・・・で、イメージを固定します。有形物の場合三次元の形にすることで、イメージは完全に固定できます。その後はイメージを消去しても、物を見ることでいつまでも復元できます。復元されたイメージ(思い)は、量子力学の原理で現物をキープします。つまり有形のものは、見続けることで寿命を伸ばす事ができるのです。生け花は見続けることで長持ちします。見続けるためには、大切に思う気持ちが必要ですが・・・。

 難しいのは無形物のキープです。例えば共同の暮らしのようなものは、初期イメージで形にすることは出来ますが、現実は刻々と動きますから現物を見ることで量子力学的なサポートは出来ません。トラブルを見ているとトラブルを促進させることになります。
 さてどうするか。実は現実を見ないことなのです。その現実を見ない一番良い方法は、その場にいないこと、所属しないことです。つまり、共同の暮らしの意識サポーターは共同の暮らしに参加しないことなのです。「えっ!」というしかないでしょうが、これこそが私たちが見失った部分なのです。

 中国の古代思想では、国を治める人を天子とか君子とかの名称を使っていますが、このような名称を使われた人は国家泰平をイメージする役割の人です。従って自然災害ゃ凶作が続くようなことがあれば、徳無し(能力無し)ということで役割を退きます。
 日本の天皇も古い時代にはそのような考え方にあって、凶作や天変地異が続いたりすると代を替わったり、年号を変えたりしていました。

 中国古代思想『荘子』では、そういう役割の人は「人民と同じ次元に立つことがあってはならない・・・同化されないことによって、支配する主体となることができるのである」とあります(ここで言っている支配とは、力による支配ではなくイメージによる統治のことです)。
 ついでながら言えば、イメージというのは実にか弱い存在で、不注意な言葉一つで消えてしまうようなものです。したがってイメージを守るうえでも自我中心に暮らす人の中に身を置いてはならないのです。
 余談ですが、「上げまん」「下げまん」という言葉がありますが、上げまんというのは男の夢を言葉で誉めそやしサポートする女性のことです。下げまんはその逆で言葉で否定する人です。

 話しは戻りますが、自我が強く発達した弥生以降ぐらいから、イメージ(意識)による統治が理解できなくなったのか、そういうシステムを作らなくなりました。それに替わって、権力による統治が一般化しました。
 権力統治は、自我を行動レベルで管理する統治方法です。ルールを決めて行動がそれに沿うか沿わないかで管理する訳ですから、権力者は生活者と一緒に暮らします。街の中心にお城を作りそこで人々を管理します。離れていては行動の管理は出来ないからです。
 ついでながら、天子や天皇が一般人と離れた所に暮らしてよいのは、意識統治(自我社会では「権威統治」と言っている)ですから、距離は関係ないです。 

○共同の暮らしの統治方法

 共同の暮らしを構成しても、自我中心で生活している間は何らかの統治方法を導入しないと秩序が保てません。それぞれが固有の記憶データ、固有の価値観を使い無統治ならただ混乱あるのみです。
 議論と多数決によって・・・というのが今流ですが、これこそが崩壊の元です。49パーセントの反対エネルギーは何処に行くのでしょう。51パーセントの賛成で決定した現実は、49パーセントの反対エネルギーで壊れて行きます。量子力学の原理が働くのです。数百年以上安定した体制を保っている社会(少数部族に多い)に多数決システムはありません。すべて全員合意システムになっています。
 神界に議論はありません。自我の無い所(固有のデータ、固有の価値観のないところ)には、議論そのものが成立しません。

 私は共同の暮らしのスタート期の統治は、意識(イメージ)統治が良いと思っています。権力統治は誰も望まないでしょう。これは権力者に人事権と経済権を与えるということですから(この2つを与えずに統治を望むのは無理です)。
 統治は権力か権威(元々はレベルの高い人の意識)で行われます。権力支配を望まないなら、権威統治(意識統治)を選択するしかないと思います。イソップ物語に、カエルが統治者を求める話がありますが、「あれはだめ、これはだめ」と言っていたら、神様は最後に蛇を与えました。現実が大混乱状態になると、最後は独裁的な権力者でないと治まらなくなります。必ずそういう人が出て来て、結局そういう人を選びます。ナチスのヒットラーも選挙によって選ばれた人です。そこまで行く前に、適切な統治方法を見い出すべきというのがイソップ物語りの教訓です。
 自我で考えている間は、統治方法も考えておくべきでしょう。

・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょうど1年前のメルマガでリアル癒しの郷の土地取得に向けての呼び掛けをしました。それから一ヶ月後には土地取得となった訳ですが、あっという間に過ぎ去った1年を振り返ると、もうワクワクドキドキの連続でした。読者の皆様はじめ、御協力下さった方々に改めてお礼申し上げます。リアル癒しの郷を支えて下さり、ありがとうございました。皆様への御報告かたがた写真を編集していますので、近いうちに披露出来ればと思っています。本当に良い所が手に入り感謝しています。元地主の方も良い方だったし、町内の方も良い方ばかりだし、土地の形状も申し分ないし、初めに予想したような展開になりそうだし、メルマガで発表しているような建設計画が着々と進みつつあります。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  203号 2006. 6/5