**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   201号 2006.4/5

 久しぶりに本を買いました。ニール・ドナルド・ウォルシュ著『明日の神』という本です。ベストセラーとなった『神との対話』シリーズの最新刊です。少し気になったので感想を記しておきます。
 10年前の『神との対話』の頃は、預言的なことには触れず大変ソフトな表現でしたが、この最新刊では預言的なことにたくさん触れています。もう抜き差し成らない事態になったのでしょうか。気になる部分を抜粋して紹介します。

 「・・・なぜなら、ことはそこまで差し迫っているからだ。生命はもうこれ以上、対応を先延ばしには出来なくなっている。まもなく生命は自ら答えを出さなくてはならなくなるだろう。
 ・・・それは、あなたの生命をかけてもいいくらい確かなことだ。それどころか、実際にあなたがたの生命がかかっているのだよ。」

 『明日の神』によれば、危機に直面すると生命(地球全生命システム)は、必ず生命維持の方を選択するので、もはや可能性の見られない今の人類の作った在り方は、30年のうちに生命の側で進路変更(パラダイムシフト)すると。
 「・・・その変化は、人類が自滅の瀬戸際にもっと近づいてから起こるだろうか? ・・・それともそんなとてつもない絶望の淵に陥る前に、まだ地上の生命の良いもの、素晴らしいものを維持するチャンスが残っている間に起こるだろうか?」どちらを選ぶかは今のあなたがたの行動次第だと。

 この本を読んだとき「仁慶メモ」に書いておいたチャネリング情報を思い出しました。これも「仁慶メモ」から抜粋しておきます。
 「・・・2006年までに原子力発電所の全面閉鎖をしなくてはならない。これは2016年以降の地球の汚染度の軽減化を計るためである。これらの汚染軽減策は地球という惑星の生物的存続可能性ギリギリの生命ライン保持のためだ。2006年から2013年には地球は惑星規模のシフト(振い分け)を経験することになるからである・・・」(今から20年ぐらい前のチャネリング情報です)。

 以上の2つの予言は、やりようによってはまだ人類には今のままの生命形態で存続できる可能性があると見ています。それに対し『日月神示』などの神道系の予言は、今の物質形態の世は終わり全く別の組成の世(半霊半物質の世)になると言っています。人類にもう介入余地はないという見方です。
 『明日の神』でもそうですが、生命の側が生命形態を変えることで生命を維持する道を選んだ場合は、転換において「地球は一度生き地獄になる」と言っています。要するに、『ヨハネの黙示録』に描かれているような現実を体験するということです。これはすべての予言、啓示に共通しています。

 それにしても、できることなら地獄は体験したくないですね。わずかな可能性かもしれないですが、地獄体験を避ける方法が『明日の神』で語られていますから、一つ紹介します(要は自我意識を使わず集合意識の意図のみを行為にせよということなのですが、そうした場合に現れる形の一つです)。
 これは経済の部分ですが、「富」の概念を所有から利用へ(どれだけのモノを持っているかではなく、どれだけのモノが利用できるかへ)切り換えよと言っています。そしてその利用を「共同利用」にすれば、生産量を減らしながら(環境負荷を小さくさせながら)豊かになれると。
 また、経済は一つの巨大な経済(グローバル経済)を作るのではなく、小さな経済ブロックをたくさん作るべきだとも言っています。

 このような経済については、何年か前メルマガ(53号〜63号)で「小さな自給社会に向けて」というテーマで触れています。時間があれば一度目を通して下さい(この頃も誤字脱字脱行が多いかもしれませんが)。そのような社会に向かわなければ地球は地獄を体験するということらしいです。今の社会は自我の作り出した幻影でしょう。ある日ソ連崩壊と同じようなことが起きるでしょう。それに寄り掛かった生き方をしていた人は大変です。今の世にあっても「小さな自給社会」は成立するはずです。
 なお、「共同利用」は共同生活と不可分の関係にあるのですが、その辺りの方法論については『明日の神』では詳しく説明されていません。「リアル癒しの郷」では現実レベルのことになっていますが・・・。

 さて本題に入りますが、メルマガは「共同の暮らしを作るために」というテーマで進んでいます。先の『明日の神』とかなり関連のある話です。「共同利用」は「共同生活」と一体のもので、その共同生活のカギになってくるのが自我(固有の記憶データ)です。
 前号で自我本意でもなく、魂本意でもない第三の道が考えられると言いました。まず自我の特性を押さえて、その後で本題の「それぞれが自我をベースに生きていても全体として平和な暮らしが成立するシステム」について説明したいと思います。 

〈 自我とは何か 〉

 結論から入りますが、自我とは三次元を知るための固有の物差しです。記憶によって作られるものです。以前の例を引用しますと、私がトゥルッリの家(イタリア南部にある石で造られたキノコのようなかわいい家)を認識できるのは、照合する物差しがあるからです。それは記憶(学習)で作られたものです。その物差しがあることで、魂の欲求を三次元に形にして表現することが出来ます。
 問題の一つは、その物差しは人によって目盛り方(価値順位やメッシュ)が違うということです。一人で暮らす分には何も問題はないのですが、共同生活をする場合は、目盛り方の違いをどのように接続するのかが大きなテーマとなります。

 そしてもう一つの問題は、自分という独立した人格が在ると信じていることです。これは記憶の作り出す一種の幻想に近いものですが、そのことが「これは私のもの」という意識を生み、『明日の神』が言う「共同利用」の妨げになっています。
 独立した人格が在ると思うのは、国家というものが在ると思うのに似ています。勝手に定めた枠です。国家が在ると思えばそのような世界が見えますが、それは幻想です。ソ連崩壊の現実からそのことが確認できると思います。国家がなくなっても大半の人は昨日と同じように生きていました。国家とは何であったのか。困ったことになったのは、国家という幻想に寄り掛かって生きていた人たちです。

 自我人格についてはも同じようなことが言えます。その人格は生きているうちにも消滅することがあります。認知症(痴呆)になったときです。記憶で構成されていた世界(家族、友人、仕事・・・など)がすべて消滅します。それでも人は生きています。国家の存在を信じて生きていた人の、国家が消滅したときと同じ心境になるのでしょうか。

 自我意識は記憶の中に生まれ育つ意識です。肉体そのものに核なるものがあって、それが育っていくものではありません。全く根のないものです。その一つの証拠を多重人格症患者に見る事ができます。患者の複数人格には、時間軸上の共通記憶が無いと言われています。つまりAという人格が5歳の時の記憶を持っていた場合、他のB、C、D・・・という人格には5歳の時の記憶がないのです。
 もし肉体そのものに人格の核になるものがあって、それが脳の記憶を引き出しているとするなら、人格が分裂しても共通記憶が語られるはずなのです。それが出来ないと言うことは、記憶そのものの中に人格が生まれ、それを一つの人格に統合しているのが一般人で、何らかの理由で統合できなかったのが多重人格症だと考えられます。

 少し前に『神々の沈黙』という大作を紹介したことがありますが、著者のジュリアン・ジェインズは、人間の意識を深く考え続けていた時、「認識の中に認識我を認めよ」という啓示を与えられたと著書の中で触れています。自我人格(パーソナリティ)は記憶の中に生まれ育っていくものという見方をしています。
 精神世界では自我とは記憶の産物であると一言で片付けています。

 そして先にも言いましたように自我人格は生きているうちに消滅することもあるわけです(認知症)。このように考えたら、自我本意の一生を生きるのは何かもったいないようにも感じます。また、もったいないばかりか、死を迎えるとき(自我記憶が薄れて行くとき)大変なショック、恐怖を味わうかもしれません(今年、世話をしていた一人暮らしの伯母を見送ったのですが、そんな印象を受けました)。
 このように考えると、少しは魂との折り合いを付けた人生を送ってみようかと思うでしょう。その折り合いの付け方は次回にしたいと思います。前置きが少し長くなり過ぎました。

 
 ここからは余談ですが、認知症患者と覚醒した人(もしくは一時的にそういう意識になれる人)とは、判断、行動などで大変似たところがあります。前頭葉の脳波を測定すると同じようなデータが出ます。ほとんど活動していません。覚醒者は痴呆なのです(笑)。
 違いと言えば、覚醒者は魂人格(本我、真我)で統一されており、痴呆者はそれがないということです。痴呆になろうと魂が消える訳ではありません。おそらく魂の発露を開かなかったために、自我を失うと何もない状態になるのだろうと思っています。まだ想像段階ですから、あまり信用しないで下さい。

・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三月末のテレビの映像で東京代々木公園の満開の桜が写し出されていました。しかし岡山の後楽園の桜はまだ固い蕾でした。今年は寒いので桜は遅いと思っていましたが、東京と岡山では随分と違うなと改めて感じました。私は当然岡山の方が暖かく桜は早いと思っていたのですが・・・。先週末は桜が咲いていなくてもお花見を催す人も多く、昼間からブルーシートを敷いて場所取りをしている会社員がニュースに写っていました。平和だなー、とつくづく思いました。うらやましいかぎりです。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  201号 2006. 4/5