**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   188号 2005.9/25

 リアル「癒しの郷」のコミュニティ・スペースにライブカメラを設置する実験をしています。これは面白いです。メルマガの古い号で農山村の生活スペースと都市の生活スペースにライブカメラを設置して、お互いが見えるようにするといったことを書いたことがありますが(離れていても心を一つに保つ方法として)、実験したかぎりでは想像以上に効果がありそうです。

 ライブカメラは出資メンバーでありながら、まだ現地に足を運べない方やこの先メンバーになる方に、変わって行く現場風景を見て頂くのが目的なのですが、村が体を成して来てなら、広く公開したいと思っています。コミュニティ(共同体)の生活風景を動画で見ていただけるでしょう。

 さて本題ですが、前号で紹介した新聞小説(「すばらしき新世界II 光の指で触れよ」)の話しをもう少し説明しておきたいと思います。

 メルマガで共同体の説明をしていた頃、家族は生活装置だと書いたことがあります。その説明としてチベットに多い一妻多夫の家族と仕事の関係、また、江戸時代の浅間山の大噴火で何百としていう集落が壊滅状態になった時、生き残った人たちで家族を再構成した例など取り上げました。これらは、感情よりも物理的合理(生活装置としての機能)を優先した家族といえるでしょう。

 私たちには理解し難い家族かもしれませんが、実は私たちも似たようなことを行っています。家族を作る時(結婚をするとき)は感情を優先させていますが、家族を継続させることにおいては物理的合理が優先されているようです。つまり家族を形成しておいた方が生きやすいので継続しているということです。これは死ぬまで家族という生活装置を必要とするような複雑な社会を作ったということでもあります(動物が子育てを終えると家族を解散するのは、それ以後は家族という装置を必要としない生活になっているからです)。

 「すばらしき新世界II 光の指で触れよ」では、今の社会を生きる生活装置が家族でなければならないのか?、他に方法はないのか?をテーマにしています。作者の池澤夏樹さんは、その可能性の一つとしてコミュニティ(共同体)を見ています。
 そして主人公のアユミさんに、次ぎのように語らせています。「家族という固定的役割(男は夫、父親として、女は妻、母親として)を生涯演じ続ける必要があるのだろうか、もっとゆるやかで、自由な在り方はないのだろうか」と。

 動物は子育てを終えたなら、父親母親の役割から解放されますが、人間は子供を作ると死ぬまで父親母親という役割を続けなければなりません。また、良き夫であり、良き妻であることを求められます。1人の男、1人の女に戻ることは出来なくなります。確かにストレスです。
 文学者は精神面を鋭く突いてきます。面白いですね。私の話しは物理面中心ですから、両方を合わせて読むと時代が一層深く見えるかもしれません。

 物理的な面で言えば、年ごとに複雑になっていく社会を夫婦という2人で対応していくのは大変難しいものになっています。出生率1.28人という現実は、子供も育てられなくなっているということであり、夫婦を単位とする社会は消滅に向かっているわけです。(出生率1.28人の社会の行く末は「仁慶メモ」の中でシュミレーションしておきました)

 今は男2人と女2人の4人で家族を作るような制度があれば良いでしょうが(大変難解な本に染色体の数が変われば2対2とか、4対4とかで1単位になる世界がうまれるとありました)、今の地球では非現実であって、それに変わるものとしては共同体しかないでしょう。

 出生率1.28人ということは、結婚をしても子供を作らない人たち、また、生涯独身を通す人(まもなく20パーセントぐらいになると言われている)が、大量にいるということなのですが、この人たちの多くが共同体に参加することになると思われます。歴史を見ても、人口減少期には共同体が生まれた痕跡があります。

・・・・内輪話しですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
リアル「癒しの郷」が手に入ってはや2ヶ月が経ちました。水が確保出来て、人が宿泊出来て、ライブカメラが設置出来るのはいつになることやらと当初思っていましたが、ぼちぼちと実現しています。メルマガ読者の皆様にもリアル「癒しの郷」を披露したいところですが、環境が整い、地に足をつけた生活ができるようになるまで、クローズドにさせて頂きます。メルマガ上で時々話しを披露しますので楽しみにしてください。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  188号 2005. 9/25