**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   170号 2005.3/25

 またまた、大きな地震が発生しました。この地震は、倉敷にいる私にも他人事ではなかったので、少しそのことに触れておきます。
 17日に私を訪ねてこられた方が、その足で福岡に行かれたのですが(1週間の予定とかで)、予定通りのスケジュールだと地震に遭遇しています。連絡が取れないものですから心配しています。

 19日、20日は、メンバーの方と打ち合わせをしていました。この方から、考案した住宅の現物モデルを作りたいという申し出を以前からいただいていました。
 19日は、住宅の建てられそうな土地(貸してくれそうな土地)を見て回りました。実験の目的は、組立手順を体験して写真に納めることと、夏と冬の宿泊実験なのですが、できることなら多くの方に見学に来ていただきたいですから、新幹線「新倉敷駅」からダイレクトに行ける場所を探していたのです。

 以前、「仁慶メモ」で、共同体スペースの一つの風景として紹介したことがあるのですが、「新倉敷駅」から車で10分(約10km)のところに、戦後開拓された「弥高開拓村」という所があります。そこには離農家が何軒かありますから、宅地地目の空地があります。しかし、貸し物件として出ているわけではありません。これから、個人的に頼み込んでみるしかないと思っています。

 貸地の話を少ししておきますと、便利のよい場所に、住宅が組み立てられるような貸地は普通にはありません。宅地や雑種地を空地にしておくと、地主の方が固定資産税に耐えられないですから、売地(商品)にするか農地に戻すかします。したがって、住宅が組み立てられる土地で、貸し地になるというのは、農地にも戻せない、売ることもできない(買い手もいないような場所にあるか、近い内に建築の予定がある)特殊な土地ということになります。不動産業者を訪ねてもまず無い物件ですから、足で探すしかありません。

 20日は、公営機関(文化センター)の一室を借りて、もろもろの打ち合わせを行いました(この予定が入っていたので、準備人その2が急にミーティングを提案したのですが、あまりに急な話であったので、そちらの方の参加者はありませんでした)。
 その打ち合わせの最中、福岡の地震がありました。倉敷は震度2でしたから、地震というほどのことではないのですが、その建物は大変地盤の悪い所(その昔は沼地)にあったものですから、大きくゆっくりした横揺れがありました。
 急げというサインなのでしょうか。皆様も自分で判断して下さい。予言や啓示では、知識やデータで判断する時代ではないと言っていますが、福岡の地震は、まさにそれを象徴しているような地震でした。心の感じ、心のセンサーを使うしかない時代に入ったようです。

○ 古い世界が消えている

 最近感じることは、以前の世界が少しずつ消えていることです。三宅島も、もう以前の暮らし方はないでしょう。全員帰島となったときには、自治体職員が2割も任意退職しています。昔なら考えられないことです。
 山古志村は、消滅するしかないでしょう。つい何日か前、市町村合併による閉村式のニュースをテレビで見ました。過去の合併例で見ると、過疎地域の市町村合併の場合、役所を失ったところが急激に衰退しています。元々、経済的に成立しているところではないですから、心の拠り所を失ったとき終わりとなるのです。集落の消滅も、中心人物の離村によって一気に進むと言われています。

 山古志村の場合、以前の権利関係が復元できないのですから(崩落で土地が消滅した人もたくさんいる)、なおさらのことです。帰れる人が帰ってみても、もう以前の社会ではありません。
 このたびの、福岡の玄界島でも同じようなことになるのでしょう。「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」という句がありますが、小さい世界の出来事から、大きな世界の流れを知ることが求められています。痛い目に遭ってからでは大変だと思います。

 今私たちが見ている出来事は、従来の個人(家族)を基本にした世界の崩壊です。今の私たちの暮らし方は、一度壊れてしまうと、二度と復元できない位置にまで舞い上がっているということです。そして、復元できないということをメディアを通して見ているわけです。自分のところが崩れるまで待つよりは、自らの意志で早めに降りた方が安全です。
 降りたらどうするか、それも避難した人が仮設住宅でやってくれています。共同の生活です。

 元に戻せない理由は多次元的にあるのですが、仮に縄文時代であったなら、山古志村のケースなどでは避難することもなくそのまま住んでいたのではないかと思うのです。
 別に気候が変わったわけでも、生態系が変わったわけでもないですから、以前の生活技術が使えます。わざわざ出て行く理由はないのです。以前の農地が使えないなら、少し移動すればすむ話です。

 現代人が暮らせないのは、近代のインフラ方式の問題、土地の所有権の問題、住宅が高価で再建が難しいこと、人為経済に依存する部分が大きいので、経済が縮小すると生活が成り立たないこと・・・等、数え上げればキリがないのですが、私たちの世界がそういうところに舞い上がったということでしょう。個を基本にした文明社会が帰れなくしているのです。この話は改めます。

 住宅実験の話に戻しますが、住宅の実験を計画されている方は、200万円ほどの資金を用意されたのですが、それは製作実費であって、仕事の犠牲分を加えるともっと大きな金額になります。
 こういう事を1人のリスクにしてしまうと、事はなかなか進みません。多くの人でリスクを分散したいと思っています。そのようにしないと、誰も今の世界から抜け出せません。この件は、近い内に詳しく説明したいと思っています。

・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20日のミーティングは興味を持って下さった方もいらっしゃったのですが、なんせ遠方で急な話なもので、お集り頂けませんでした。今度は余裕を持って企画します。その時はまだ土地など見つかっていないと思いますが、コーポラティブハウスを作るような感じで、出資の話や土地、生活の話を真剣に話たいと思っています。一緒に住もうと考えている方、または「癒しの郷」保険と思っている方、どちらにしても、急がなければいけませんので、一度お出で下さい。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  170号 2005. 3/25