**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   157号 2004.11/15

 今号から新しいシリーズに入ります。4ヶ月続いた経済シリーズは、このシリーズのための前置きであったということになるかもしれません。
 私たちは、今後世界はどのようになって行き、どこに安全で心地よい生活があるのかを考えているのですが、経済学は(155号でも触れましたが)、今の経済がどういう原因でいつ終わり、次の経済がどういう仕組みになるのか全く答えてくれません。

 これは、人間の導き出した学問(科学)の限界です。人間の科学では、人間(自我知)に理解できる要素で考えるしかなく、その中で論理的な正しさを説明しても、論理的に正しいというだけでそれ以上のものではありません。
 メルマガでは、しばしば預言、啓示といったものを取り上げていますが、論理性を抜いているために逆に真実が伝えられるという面があるからです。サバン症候群といわれる人が、プロセスを抜きにいきなり解答を示しますが、正解ならそれでもよいわけです。

 私たち(頭)の常識である再現性、論理的整合性といったことからいえば(これはニュートン力学的な理解方法)、預言のようなものは認められないわけですが、量子力学からいえば、ニュートン力学が妖怪しいということになります。(今の物理学では、ニュートン力学的法則は特異な範囲で働く法則し理解されています)。
 その量子力学では、預言は研究テーマの範囲で、預言通りの 現実になることを、「預言した未来を見る可能性のある人々を、預言した未来へ収束させた」と解釈しています。

 新しいシリーズでは、物質(現実)と意識の接点のようなところに入りたいと思っているのですが、私もよくわかっていません。この手の話しには深入りしたくなかったのですが、後で心残りになるのもいやなので、知っている範囲で書いておきます。
 これは、経済シリーズのように順序よく進められないですから(私自身、今全体像が見えていない)、一つの結論から入ります。

 前号の続きで、天災ヘッジということでいえば、これは場所的逃避ではなく、次元的逃避(物理法則の異なる空間への逃避)をするしかないようです。「癒しの郷」のような考え方のコミュニティは、その次元的な逃避場所となる可能性が高いです。これは量子学的な結論です。
 これを私が説明するとなると大変なのですが(笑)、軽く預言からそういう事例を紹介します。

1.天変地異の中を共同体はくぐり抜ける

 「地球ととても親密に生活している小さな集団の夢を見た。彼らは新しい来訪者を抱き締め『あなたがたは生き残ったのだ』と話していた」と、アメリカ先住民活動家であるサン・ベアという人が、著書『インデアの大予言』に書いています。

 これと全く同じことを、2.600年前の釈迦が『転輪聖王獅子吼経』で語っています。「ある人たちは、『私たちは誰も殺さない』といって、山林の岩窟に隠れ住むだろう。やがて七日過ぎた後、そこより出た人々はお互いを発見して生きていたことを歓喜し、善を行いはじめるだろう」

 この話の前に何が起きたのかというと、ポールシフト(地軸の移動)です。釈迦は、「その時、虚空に大音響゛か鳴り響き、地は震え、あらゆるものが水車のように廻り動く」(『大方等大集経』)と言っています。
 このポールシフトの描写は、古今東西のあらゆる預言にあって、『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」では、「空の星は地上に落ちた。それはあたかもいちじくの青い実が大風に吹き落とされたようであった。空は巻き物が巻かれるように消え失せ、山と島はことごとく所を移された」と表現しています。
 地球の自転が、突然方向を変えるとそんな感じだと思いますが、遭遇すればそれを眺める余裕などないでしょうが・・・。

 西洋の預言にはたいがい星の描写がありますから、西洋では夜になったとき起きるのでしょう。『コーラン』でも、「大空が二つに割れて、星々の追い散らされる時・・・」と表現されています。
 ならば、日本は昼間になるはずです。聖徳太子が書いたという『未来記』では、「夜になろうというのに太陽が沈まない、そして、北方から月が出る」となっています。不思議に、話に矛盾がないのです。
 おなじみの『日月神示』を見たら、そっけなく「地(くに)つちの軸動くぞ」とありました(笑)。

 なお、ポールシフトは、想像の話しではなく、過去の地球で何回も起きています。これは、溶岩の中の鉄分の方向(NSの向き)で確認されています。
 ただし、地球が別方向に回転したのか、磁極だけが移動したのかは確認できません。今も南極の磁極は、毎年北西方向に15km移動しているといわれています(当然北極の磁極も移動しているはずですが、北極には観測者が行かないのでデータはありません)。元々、地軸と磁極は少しズレていますから、別々の法則で動くものなのかもしれません。
 預言の類では、世の終わりのとき地軸が動くといっています。

 その宇宙的大惨事の中で、なぜ小さな集団が生き残ったのかというと、物理則の異なる次元に入っていたからだと考えられます。
 そて、ここからの説明が大変なのですが(笑)、先のサン・ベア氏の幻視の中にみヒントがあります。「地球ととても親密に生活している小さな集団・・・」というのがそれです(これの説明は後の号でします) 。

 釈迦の先の預言に関連することを別のところ(『法滅尽経』)で、「三乗は山の中に福徳の地を求め、そこで自分たちだけで法を守り、戒を守り、それを喜びとするだろう。この人々の寿命は延び、諸々の天が守護するだろう」と言っています。
 「この人々の寿命は延び・・・」というのですから、明らかに物理法則が異なっています。

 大本教の出口王仁三郎氏は、「彌勒の世になると、人間は200歳から老後が始まる」と言っています。『日月神示』でも、「よき世となったら身体も大きくなるぞ。命も長くなるぞ・・・」と説明されています。
 つまり、先のような小さな集団は、事前に物理法則の異なる新しい世に入ってしまったといえるのです。したがって、古い世で何が起きようと関係ないのだと。これは、ニュートン力学ではありえないことですが、量子力学で考えると有ってもよい話しになってきます。次回は、このあたりの話しをしたいと思います。

・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
急に冷え込んできましたが、皆様お変わりありませんでしょうか。スーパーの野菜はとても値段が高く、普段ならクズ野菜になるようなものでも高い値段で売られています。ところが近所の畑の野菜はとても瑞々しいものが元気よく並んでいます。米泥棒とかサンランボ泥棒とかニュースでにぎわっていましたが、今年は野菜泥棒というニュースは聞きません。まあ、それよりも重大なニュースが目白押しなので表ざたにならないのでしょうが・・・。畑の野菜を見てはプランター菜園をしてみようかな、といつも思う準備人その2です。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  157号 2004. 11/15