**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   139号 2004.5/15

 長い連休も終わりましたが、体調は元に戻ったでしょうか。私は連休中に何人かの読者の方と直接話をする機会に恵まれました。そしてその一人の方から、半分うれしいようなお叱りを受けました。
 その方が言うには、今あるコンテンツ(メルマガのバックと仁慶メモ)だけでも何冊かの本になるはずだから、その方向で動けば事務局の活動費は作り出せるのではないかと。プロモーション用の20〜30ページの冊子を何種か作り、営業活動をすればOKとのことでした。

 私も出版社が素材をほしがっているのは知っているのですが、今は書き出しておくことの方に忙しく(筆が遅いこともあって)、まとめることに手が回りません。今後、マスメディア向けのツールを作る作業も始めようと思っています。今号は、特別にマスメディアのことを考えてみます。

<私のマスメディア体験と今後の対策>

 私は、意外にマスメディアとは相性がよいのです。アプローチしたわけでもないのに、突然メディアがやって来たことが何回かありました。

 まず、マスメディアにアプローチした最初の体験ですが、これは学生時代です。当時の私はオーディオマニアをやっていて、オーディオラックのデザインも自分のためにやっていました。納得のものが出来たときは、オーディオ雑誌に投稿していたのですが、何回か紹介されたことがあります。
 
 次に、マスメディアが突然やって来た最初の体験ですが、これはプロフィールのページでも紹介しましたが、職業訓練校(木材工芸科)に通っているときです。授業中に校長から呼び出しがあって、「ヤバイことかな」と思いながら校長室に行ってみると(叩けばホコリの出そうな事がいっぱいあったのです)、新聞社が取材に来ているので対応してくれというものでした。当時(今から30年も前)、一通りの学業を終えたものが、訓練校に来た例はなかったらしく、根掘り葉掘り聞かれて、大きな写真の入った新聞記事になってしまいました。誰にも内緒で通っていたのに、あそこの息子は何をやっているんだということになって、恥ずかしくて表が歩けないという気分でした。

 その後は、ホームセンターの開発という仕事(当時、日本にはホームセンター業界というものはなかった)をしたものですから、けっこうメディアとの接触もありました。ただこれは会社を通してのことです。それでもマスメディアの世界を知ることはできました。

 
 写真の家具は、個展用にデザインしたものです。床の生活の道具として、30点ほどトータルなデザインをしました。木の乾燥待ちもあって、5年くらいの時間をかけてデザインしました。
 実は、個展はニューヨークでするつもりだったのです。作家が顔を出さない個展です。ニューヨーク在住の商社員の奥さんなどに、スペースを借りてもらって展示と期間中の受け付けをお願いするつもりだったのです。私は、コンテナで作品を送るだけで、手間料などは展示作品(現物)で払う予定にしていたのです。このプランは、人が見つからず実現しませんでした。

 現実の個展会場は、倉敷美術館となりました。このときは、新聞社やTV局に、コンセプトを説明した案内書を送っておきました。すべてのところから取材があり、TVは3〜4局が、トータルで30分ほどオンエアしてくれました。ケーブルTVは、10分くらいの映像を1ヶ月流してくれました。

 レストランは、全く秘密でオープンしました。夜、7時過ぎからこっそり店を開けていました。従業員教育が全く出来ていなかったので、客を入れないようにして本番練習をしていたのです。サクラをたのんで、満席にならないようにテーブルをふさいでおいて、1〜2テーブルだけにお客を入れて接客練習をしていました。
 しかし、10日もするとタウン誌の記者がやって来て記事にしてしまいました。そして、半年もしない内に、突然、女性誌『non・no』の取材があって、全国に情報が流れました。部数の多い全国誌の反響はすごいです。又、TV局などの取材もあって、このレストランは、メディアと一体のような店でした。しかし、一度もメディアにアプローチしたことはないのです。

 そして、『癒しの郷を創ろう』も突然、雑誌『スターピープル』の取材があったわけです。田舎住まいのおじさんとしては、マスメディア体験の多い方だと思っています。

 さて、これからのマスメディアとの付き合いですが、まず、相当しっかりした体制を整えておく必要があると思っています。マスメディアの力は大きく、マイナスに転んだ場合も大きなものになります。
 レストランを秘密でオープンしたのも、初日からお客さんが殺到すると、ホールも厨房もパンクしてしまって、ただ悪いイメージを与えるだけになり、そしてそのまま閉店という店もけっこうあります。当時、隣にオープンした和食の店も1ヶ月ほどで閉店になりました。

 『癒しの郷』が、マスメディアにアプローチして行くとき、メルマガ53号、54号、55号あたりで触れた「なぜ共同体なのか−小さな自給社会に向けて−」の思想は、普遍的な在り方であり哲学になると思います。この思想は、子供向けの本にもなりそうですし、よりたくさんの人が永続的に生きるシステムを競うゲームも作れそうです。
 又、52号の話は、勤労生活者は20〜30世帯くらいで一つの生涯生活グループ(大家族)を作り、実家を農山村に持って、若い間は都市で働き定年を迎えたら農山村の実家に帰るという循環的な暮らし方の提案です。無年金者、生涯未婚者、子供を持たない夫婦などの多い今、1千万人くらいは真剣に考えてよい暮らし方だと思います。そして、75〜80号に渡って、都市と農山村の二ケ所に生活基盤を持つシステムを考察していますから、ほとんど仕様書レベルになっています(「仁慶メモ」では住宅の作り方、収益事業の作り方にも入っています)。

 さらに、摂理の世界(集合意識の世界)が地球定常波7.8ヘルツの周波数の中にあり(これは私の仮説かもしれませんが)、その物理法則は、古典では『老子』、『荘子』で説かれており、今継続中の「アーミッシュ」は、その物理法則を基本に生きているという話しは(次号で『老子』との決定的接点を紹介します)、かなり保守的な人にも意識世界のことが伝えられる本になるのではないかと思います。

 故人となりましたが、評論家で、雑誌『室内』の発行人でもあった山本夏彦氏が、「枝葉があれば、それに幹を作ってしまうのがプロの物書きというものだ」と言っていましたが、「癒しの郷を創ろう」では、幹の方があるので、ちょっとした企画、編集者なら、それに枝葉をつけて繁らせるぐらい簡単なことだろうと思います。 本気で出版社にアプローチして行けば、2〜3冊の本になるかもしれません。

 これも、同時期に2〜3冊の出版が望ましいです。相乗効果が生まれ、雑誌記事にもなって行くと思います。しかし、それで終わったのでは意味がありません。たくさんの問い合わせが入るでしょうから、適切な交通整理をしなければなりません。それによって、たくさんのメンバーが生まれ、資金力もつきます(100万円出資してもよいという人が千人いれば10億円ですから、倒産ゴルフ場も買えます)。
 「癒しの郷」の建設プロセスは、どこかのTV局に放映権として売れば、さらに資金力もつくし、さらにメンバーが集まるでしょう。そうすると、35号、40号あたりで紹介したコミュニティ連合社会も視野に入ってきます。

 しかし、残念ながら、今の事務局にはそんな能力はありません。メールが2〜3通入っただけでバタバタしています。さて、どうしましょう。
 メディア管理の好きな方がいましたら、「癒しの郷」向きの計画を作って下さい。私は、芸術家系で、瞬間的に世界は見るのですが、それを文字に変換してアウトプットするのは苦手です。このために筆が遅いのです。この辺りのことも考慮していただいて、よろしくお願い致します。

・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、世の中には恐ろしい事が起こる前兆がいっぱい出ているのに、私たちの目は、年金ばかりに向けられています。なんだか「おまえのかあさん、出べそ」と囃し立てているとしか思えません。食糧危機にも原油高騰も話題にならず、平和で良いのですが、はやく「癒しの郷」を作って、本当の自らの平和を作っておきたいと焦っています。私の小さな願いは、安心して暮らせる場所と仲間が欲しいだけなのですが、これって結構大きな願いかも・・・。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  139号 2004. 5/15