**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   126号 2004.1/5

 04年、明けましておめでとうございます。干支では甲申の年で、転換期とも言われています。「甲」は種子の殻が割け芽が出るという意味があり、「申」は真直ぐに伸びるということを示しています。今まで種子であったものが、芽を出し伸びるということは新しいものに転換することになります。
 今年はアメリカの大統領選挙の年であり、時代はまた一場面変わりそうです。皆様にも新しい時代の見通しを立てていただくために、状況の変化によって考え方(価値)が違ってくるという話しをしておきます。

〈 コミュニティ参加にどのくらいの資金が必要か 〉

 資金のことについては、頭の痛いことであり感心のあることだと思いますが、まずコミュニティの参加に資金が必要でないケース、資金があっても入れないケースがあることから考えてみます。
 
 これは、阪神大震災(95年)の時実際にあったケースですが(新聞の切り抜きを持っている)、家も仕事場も失った人が数人集まって、明日からを生きて行くために、農産物の加工販売会社を作ったのです。この会社は同金額出資になっていません。
 土地を出資した人もいれば、技術だけ出資した人もいます。どのように株券を分配したのかは、新聞記事では説明されていないのですが、異なるものを平等に扱っています。

 突然それまでの生活システムが破綻し、すぐに次ぎの生活システムを成立させなければならなくなった時は、まずお金を集めて、そのお金で必要なモノを買って行くといった余裕はなく、いきなり最終要素(道具であったり、技術であったり)を集めて行く事になります。
 これはコミュニティ建設においても同じであって、足元に火が付いてから建設に取りかかる場合は、同金額出資などと悠長なことは言っていられないですから、お金のある人はお金を、技術のある人は技術を出して、一気に建設に取りかかることになるでしょう。
 このような建設になった場合は、技術を持っていればお金(出資金)がなくてもコミュニティに参加出来ますし、逆にお金で参加しようとするなら、相当の出資をしないと平等とは認められないでしょう。

 社会が平穏な時にコミュニティを建設する場合は、時間的に余裕がありますから、時間をかければ習得できる技術などには大きな価値が認めにくくなり、お金(出資金)を同額にして平等を作っておこうということになるでしょう。
 これは平穏な時代なら、自給技術がなくても一定の資金があればメンバーとして参加できるということです。自分はどういう方法でコミュニティに参加できるか、考えてみてください。

〈 平穏な時代のコミュニティ参加費 〉

 平穏な時代、自給型コミュニティ(共同体)の参加費がどのくらいになるか、一つの目安として内訳費を試算してみます。

「土地費」・・・北海道の牧場など三千万円ぐらいで50ヘクタール規模の土地が買えます。これを30人(30世帯)で買えば一口100万円となります。もっとたくさんの人で買えば安くなると思われるでしょうが、半年は雪で被われること、地力の低いことなど考えると、西日本の数haの土地と同程度です。土地能力ということから考えれば、特に安い土地がある訳では無く、一人(1世帯)100万円前後の負担で考えておくべきでしょう。上を見て行くとキリがありません。

「造成費」・・・安い土地は、未開状態に近いと考えておくべきで、生活場所として入っていく場合、土木業者に一部を整地してもらったり、道路を作ってもらう必要があります。このような費用を一人(1世帯)50〜100万円と見ておくべきでしょう。

「共有施設・共有道具費」・・・周辺部の土地は、水道を引くより井戸を掘った方が安く上がります。今、ハンドボーリング(上総掘り)による方法など考えていますが、取り合えず一ケ所ぐらいは業者に掘ってもらわないと移住のスタートが切れません。その他、物置、倉庫、農作業場などの建設費が必要で、やはり一人(1世帯)100万円ぐらいを考えておくべきでしょう。

 以上、住宅以前の生活基礎部分で、一人(1世帯)200〜300万円必要ということになります。これは全くの机上計算なので、そんなに深く考える必要はありませんが、これに個人の住宅費が加わります。

「個人住宅費」・・・個人住宅は家族構成などによって、大きさ、設備などが違ってきますから、住宅のスタイルや方向性は決めるにしても、建築費は個人サイドの問題となってくるでしょう。以前私が、ローコスト手作り住宅として設計したものに「2人用100万円プラン」のものがありますが、これも、業者に建ててもらうと400〜500万円でしょう。平穏な時代のコミュニティ参加でも、住宅は大きな問題で、自分で住宅が建てられない場合は大きな資金が必要です。

〈 住宅は自分で建てられるようにしておくべき 〉

 私は、住宅は自分で建てられるようにしておくべきだと思っています。いくつか理由があるのですが、その一つとして社会レベルの激変があって、多くの人が自給型生活に移行せざるを得なくなったとき、自分で住宅を建てられない人は行き場所がないからです。

 一つの例ですが、明治の時代、奈良県十津川村で大きな風水害があって、2600人が家と農地を失いどこかに移住するしかなくなったのですが、住居を作る能力がなかったために、行く所がなかったのです。
 全員農業者ですから、今までの農業技術が使える気候の場所(開拓地)を探したのですが、住居問題でどうにもならないのです。
 ところが、幸か不幸か北海道に住居を用意して開拓者を待っている所があって(当時、北海道開拓は国策となっており、受刑者の労務として至る所に開拓者用の住居を作っていた)、結局そこへ行かざるを得なくなったのですが、気候が異なるために多くの人が開拓に失敗しています。持って行った農具が全く役に立たなかったという記録が残っています。

 現在の北海道新十津川町という町は、奈良県十津川村の人によって生まれた町です。
 もし彼等に住宅を作る技術があったなら、当初希望していた九州の阿蘇辺りに移住でき、全く別の歴史になっていたと思います。

 阪神大震災のような局地的な災害なら、行政が仮設住宅を作ることも出来ますが、経済変動などである業界だけが破綻した場合などは、被害者が全国に分散しますから、行政では対応できず個人単位で対処するしかなくなります。このとき、全国にメンバーを募って自給型の生活に入ろうと思っても、住宅が作れなければどうしようもありません。
 個人的に自給型生活に入るなら、農山村に空家を探すとか、家付の物件を買うとかの方法が考えられますが、その方法は、既存集落に入ることを意味し、今でもカルチャートラブルの原因になっています。

 緊急時に自給型の生活に入ろうとする場合、住宅が自分で作れないことは、個人で入るにしろ、グループに入るにしろ致命的な問題となるのです。

 もう一つの理由は、平穏な時代に余裕をもって自給型の生活に入る場合でも、住宅を業者の手で建ててもらうと、その住宅の改築や修繕はずっと業者に頼らなければなりません。プロの作ったものは、高い技術の組み合わせですから、素人の手には負えません。したがってその都度お金が必要になり、これは自給型の生活では対応できません。1年の大半を出稼ぎに費やさなければならなくなります。実際にこのような生活になった人の話しを聞いたことがあります。

 建物を作るのは、思っているほど難しいものではありません。本棚を作るより簡単です。本棚で1cmの寸法誤差は許されませんが、建物なら2〜3cmの誤差があってもなんとかなります。
 建物を難しく思うのは、今まで自分より大きいサイズのものを作ったことがないため、作業方法がイメージできないからです。一度体験してしまえばそれほどのことではないことが分かると思います。

 実は、コミュニティ建設において、住宅を業者に作らせるか、自分で作るかは大きな分岐点となり、全く方向の違ったものになります。前者の方法を取った場合、その後も業者の技術を買う必要が出て来ますからコミュニティは交易型(現金を稼ぐ)をめざすことになります。
 また、住宅を業者に建ててもらう人と、自分で建てる人が混在するコミュニティは成立しません。その後の暮らし方が違ってきて、統一が取れなくなるからです。

 前述した「2人用100万円住宅プラン」は、ノコギリとカナヅチとクギだけで作る住宅です。この住宅は工法的にも、空間構成でもパテントに関係する部分が多いので、有料ページ「仁慶メモ」で概略説明をさせて頂きます。

・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新年早々、長ったらしい文章をここまで読み進めて下さいましたでしょうか。皆様それぞれ興味分野が違いますので、資金云々の所は読んでも、建物云々はすっ飛ばしという方もいらっしゃるでしょう。興味のある部分だけの拾い読みでも構いません。本当に必要になった時には、皆様の強い見方になりますので、頭の片隅にでもこのメルマガのことを覚えておいてください。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  126号 2004. 1/5