**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   121号 2003.11/15

 前号で心(意識)の傾向性を合わせる方法のさわりの部分に触れましたが、それに関連する話しで『鴨川自然王国』(千葉県)の藤本敏夫さんの考え方を紹介しておきたいと思います。

〈 鴨川自然王国のこと 〉

 鴨川自然王国は、藤本敏夫(1944年生)さんが土に根ざした生き方を提唱し、1981年、都市の人が農的体験が出来るようにするために作った組織です。
 鴨川自然王国という名称は以前から知っていたのですが、藤本さんの考え方は『現代農業』(02年8月増刊号)で始めて知りました。残念なことですが、私がその記事を読んでいる頃、藤本さんは帰らぬ人となりました(02年8月没)。

 藤本敏夫さんといっても知らない人が多いと思いますが、学生運動で活躍されていた方で、歌手の加藤登紀子さんのご主人です。こういう紹介の仕方は本人もイヤだったのではないかと思います。今、鴨川自然王国は、加藤登紀子さんや高野孟(インサイダー編集長)さんによって引き継がれています。

 私は1970年頃の学生運動の時大学生であった世代なのですが、学生運動とは全く縁がなく、つい最近まで彼等が何を考えていたのかよく知らなかったのです。『現代農業』の藤本さんの記事で始めてその一端を知りました。
 藤本さんが言うには、学生運動の根底にあったのは共同体志向が横たわっていたと。今になって驚いています。その発言の部分の記事を参考までに抜き書きしておきます。

「・・・・広い意味で考えると、当時の学生運動というのは、表面には政治志向の色合いが強く出ていたけれど、根底には共同体志向が横たわっていたように思います。そもそも共産主義自体がユートピアとしての共同体志向でしたから。
 ユートピアですから、当然のことですが具体的な共同体の展望が何も無かった、かろうじて、マルクスの文献から類推する程度です。どうにも共同体というもののイメージが浮かばないんですね。リアルでは無いんです。
 本当は実現可能なものでなければならないのに、夢物語りのような像しか結ばなくなってしまう。そのあたりがあの頃の学生運動の根本的な限界であったように思います。僕が『大地を守る会』 (1976年)をはじめたときもそこへの反省がありました。・・・・」と。

 そしてここからが本論の話しなのですが、『大地を守る会』から『鴨川自然王国』の二十数年の流れの中で、次のような結論に至っています。

「・・・・今の時代に必要なのは、「ナニナニすべき」という思想ではなく、「成るべくして成る」というタブーの世界だと思うのです。なぜなら、思想や理念に頼ると相手を説得しようとしていくわけです。こうした啓蒙主義的なやり方による共同体づくりは、これまでの長い歴史を見ていて、ほとんどうまくいっていない。「成るべくして成る」という雰囲気によって世界像をつくり出したところが、うまくいっている。・・・・」と。

 学生運動をやってきた理論派の藤本さんにとって、「成るべくして成る」という世界はタブーの世界であったのでしょうが、結局そこしかないという所に行き着いています。
 僅か数ページの記事ですが、藤本さんの大変な葛藤を感じます。そして、「成るべくして成る」の世界に行き着いたものの十分自己整理がついていないようにも感じます。

 私は、藤本さんとは逆に「ナニナニすべき」という世界こそタブーだと思っています。大上段に「ナニナニすべき」などと言われると疲れます。それは言う人が一人でやってくれと。

 「ナニナニすべき」と考えるのは自我です。自我は頭脳の記憶(知識)であり、「ナニナニすべき」は自我の記憶した正しさの世界です。しかし、その正しさには一人一人微妙なズレがあって、集まって議論していると最後は一人になってしまいます。
 マルクスの『資本論』(第1巻を斜読みした体験しかないのですが)も、自我の考える理想世界のように思います。

 人間の考える正さにケチをつけるのかということになりますが、これは、現実がどのように作られるのかという問題に帰結し、量子力学の結論(人間の意識が物質の在り方を決定する)をどう扱うのかということに行き着きます。
 量子力学は架空の学問ではなく、レーザー光線を作り出し、半導体を生み出した現実の学問です。

 量子力学の結論を認めるなら、現実は意識(心)で作られていることになり、頭脳の考える正さで作られるものではないということになります。実際、頭で考える正さで現実を動かしてみても、それは固定することができず、固定しようとすればエネルギーを注ぎ続けなければなりません。しかし、それでも壊れてしまいます。

 藤本さんの言う「成るべくして成る」の世界は、意識(心)の流れの中で自然に作られていく世界です。この世界は壊れにくいのです。藤本さんも、そういう方法で作られた共同体がうまくいっていると認めています。
 人が一人で暮らすことが出来ず、集団を作って暮らすしかないのなら、意識(心)を合わせて集団を作るのがよいということになるのです。その意識(心)を合わせる方法のさわり部分を前号で紹介しました。

 今号の話しは少し重たい話で、皆様も疲れたと思います。しかしこれは重要な部分です。「ナニナニすべき」という思想は、目的が明確なだけに強いのです。心と頭が対立すれば必ず頭が勝ちます。自我目的は強いです。エコヴィレッジを作ろうと言えば人は集まります。しかし、それは世代交代が出来るほど続かないのです。
 03年のスタート号(90号)で、「私の夢のコミュニティ」というテーマで、「仲間は“類は類を呼ぶ”の方式で集まります。あくまでも自然な集まりです。メンバーは無限の調和、無限の洗練を夢見ています・・・」と紹介しましたが、記憶にないと思います。自我目的が弱いと頭は物足りないと判断して、記憶に残らないのです。難しいです。

 ここは堂々巡りになる部分です。平和な暮らしを実現するには、心の方向性を合わせて人が集まることが条件なのですが、今の社会は自我(頭)の理論で作られた社会なので、その中で生きるためには頭脳を活発にさせておかねばなりません。そのぶん心の感度が鈍くなっており、心を合わせてグループを作ることが難しいというわけです。
 準備人その2なども、心の感度が鈍くなっていて自分の心が見えなくなっているようです。そして心と頭の方向にズレがあります。ここにストレスが発生します。ストレスのない生活を実現するためには、心の発見が不可欠なのですが、頭脳社会にいると自分の心が分からないと言うジレンマ。
 このような事から、前号で紹介したような、心の傾向性を揃える方法を研究しています。


・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エコヴィレッジを目的にしてはいけないと言っているので、どういうことかと尋ねたところ、それは結果としてそうなるのだ、と言っていました。自然の生産力、自然のエネルギーの中で生活経済を組み立てた時、生きるために自我を活発に働かせる必要はなくなり、結果としてストレスのない暮らしになり、それはエコヴィレッジ、パーマネント社会になるのだと。この説明は次号でもう一度書くそです。おつき合いください。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  121号 2003. 11/15