**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   120号 2003.11/5

 先週、東京の女性の方が倉敷まで訪ねて来てくれました。「来てよかった」と言って下さったのでホッとしています。
 私の「癒しの郷」のメモは、イラストや図の入ったものが多く、それをあまり得意ではない文字に変換して、メルマガで発信しています。
 訪ねて来られた方とは、絵や図を描きながら2日間で10時間以上話しをしています。体力のある方でないと耐えられないです(笑)。高い旅費のことを考えると、こちらも休む間も無く機関銃のように喋り続けています。
 11月は2人の方が来られます。早く「片道切符で良いですから」と言ってみたいものです。(笑)

 今号は、今までに訪ねて来られた方が興味を感じていたことで、文章で説明できることを二つ紹介します。

〈 何かウラ情報でもあって書いているのか 〉

 「癒しの郷」は、絶対の自信のもとに書かれているようで、ウラに何かあるのかという興味なのですが、神のお告げなどありません。(笑。有れば良いのにと思っている準備人その2です。)
 「癒しの郷」の構想は、メルマガをスタートさせる以前に完成していて、完成しているものを文章に変換しているだけなので、自信たっぷりに書いているように感じられるのかもしれません。

 実際に形になっているわけではないのに、空論のようには思われないと感じるとしたら、それは私の思考方法が原理原則、確実性をあまり反れないからだと思うのですが、これにはプラスマイナスの両面があると思っています。ヴィジョンがどうしても小さくなります。

 数え上げればキリが無いのですが、例えば「癒しの郷」の標準モデルとして、20〜30家族数十人を描いていますが、社会機能を作り出すには最少の規模です。世界中の平均集落規模とか、少数部族の集団規模などから考えると、120人前後の規模が適切と言えるかもしれません。
 それにもかかわらず、数十人という規模で計画したのは、日本の土地状況から考えると最小規模で考えていた方が実現性が高いだろうと判断した訳です。一種の打算です。
 そして、人数の少ない分はコミュニティ間の分業体制を作ってカバーしようというプランを紹介しましたが、これも自我的な小細工といえば小細工です。

 選択に幅がある場合、より確実性の高い方に舵を切ってしまう傾向があるので、そのつもりでメルマガを読んでください。
 実際には現実がどのように展開していくのかは、全くわかりません。イスラエルの『キブツ』も50人ぐらいを理想規模としてスタートしたのですが、現実には10倍、20倍の規模になっています。

〈 心(意識)の傾向性をどのようにして合わせるか 〉

 大きなテーマですが、簡単といえば実に簡単です。意識と現実はイコールであると考えれば、分かりやすい現実の方を合わせることで、意識も合わせたことになります。同じ現実を好むものは、意識も同じといえるのです。

 以前からよく引用している『日月神示』に、次のようなことが示されています。「実地の大峠のいよいよとなったら、もう堪忍してくれとどんな臣民も申すぞ、人民には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少なし、神も閉口ぞ。ひどい所ほど身魂に借銭あるのぢゃぞ、身魂の悪さ事している国ほど、厳しき戒致すのであるぞ」と。

 つまり、同じ場所にいて同じ災難に遭うのは、同じ運命を背負っている者同士だと言っているのです。今世で同じ体験を求めている人だという訳です。

 深い部分の意識を合わせるためには、現実の判断に後天的な記憶(知識)が介入出来ない方法を取ります。例えば、「癒しの郷」向きの土地が見つかったとします。そこへの参加者を募集する時、「地名」を出さないのです。衛星写真による日本列島の上に、位置だけを示し、後は現場の状況写真などで判断してもらうのです。
 このような方法を取ると、知識の判断は出来なくなり、意識だけで選択することになります。

 ○○県だとかの文字を入れると、すぐに親戚のある所だとか、昔旅行で行ったとか・・・の知識が働きだして、純粋な意識(心)による判断が出来なくなります。
 その結果、知識に傾倒した選択になって、知識は合っているけれど意識は異なっているというグループが出来上がり、始めはうまくいっていたのに、次第にギクシャクするようになったということになります。意識が現実を作るわけですから、意識が異なっていれば、次第にずれた現実が同じ空間に現われてくるからです。

 もちろん、1枚の写真で総べてを決めるような事はしません。場所を見つけた人が理想の村を描くのです。これは、自分のイメージにピッタリくるものを誰かに描いてもらえばよいのです。
 また、シンボルカラーやシンボルマークを決めたりします。とにかく、知識(後天的記憶)の介入が出来ないようなものを何十と示すことで意識(心)を同じくする人の選別ができるだろうと思っています。

 この辺りのことは、私自身まだ十分練れていません。どういう事柄で選別したらよいのか、最初の人がどこまでするのか、どこから発起人グループの仕事になるのか・・・、まだ整理出来ていません。
 ともあれ、このようにして作られたグループは、意識(心)が似た人の集まりになっている筈です。知識(記憶)を合わせたわけではないですから、始めはギクシャクするかもしれませんが、同じ所に暮らし同じ物を食べていれば、やがて知識(記憶)も同じになっていきます。

 意識が同じ、知識(記憶)も同じなら平和な村が作れるでしょう。ここから心を一つにする話しになるのですが、これは図を使わないと説明しにくいので、機会を改めます。


・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今「癒しの郷」実験地を探し求めているのですが、ハコモノが手に入ったとしても、中身がありません。車に始まり、パソコンから日用品まで、生活するうえでの必需品とお金のカンパをお願いしたいと考えています。一度に集まるものでもないので、これから時々呼び掛けをしたいと思いますので、皆様の御協力をお願い申し上げます。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  120号 2003. 11/5