**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   115号 2003.9/15

 先日テレビで自民党総裁選の候補者の話しを聞いていたのですが、政治家の限界のようなものを感じました。

 今から10年程前ですが、官僚出身の自民党中堅議員と話す機会があって、一国二制度の仕組(為替レートの安いエリア、つまり収入も少ないが生活費もかからないエリア)を作るべきだと言ったことがあるのです。
 アメリカもヨーロッパも、移民のいる国は、事実上一国二制度になっています。この構造によって、様々な歪みが処理され、名目の一国一制度が保たれています。

 今日本には4500万世帯あって、一世帯約30万円/月の生活費がかかっています。これからもすべての世帯が30万円の生活が出来る政策があるのかと。そんな難しい方法を考えるより、5万円の生活費で暮らせる世界を作って、30万円の収入が得られなくなった人がいつでもそこに移動出来るような社会を作っておく方が安全ではないかと。

 方法論として、今「癒しの郷を創ろう」で展開しているようなことを言ったのです。農地法などの法律を少し改正して、3千万人ぐらいを中山間地域へ移動させれば民間で数十兆円が使われるので、大変な内需が発生して公共工事などの国債発行も止められるではないかと。

 しかしその国会議員からは何も返答がありませんでした。これは野党の議員であっても同じでしょう。結局、今日本のリーダーをつとめている人たちは、1億2千万人を同じ価値観の中に留めておくことしか考えていないのです。これは今となっては危険思想に近いです。

 戦後の頃のように、食うや食わずのとき、国民全員を食べさせるという方向ならともかく、国民全員が贅沢な生活が出来るようになった今、なおも全員贅沢な生活が続くようにするというのは、無理があるのではないかと思うのです。一歩間違えれば、全員玉砕です。

 つまり30万円の生活費のかかる社会で、それだけの収入の得られない人が1割でも出ようものなら、9割の側の人も安心した生活は出来なくなります。常に窃盗や殺人の危険にさらされながら生きていくことになるのです。多様な生き方を認めないという社会は、大変危険な社会となるのです。

 さて前回に引き続き、『人間が地球に生きるとはどういうことか』の続きを紹介します。

(2) 釈迦と量子力学の考える「作られる現実」

 宗教から一転して、物理学の方向から考えてみますが、量子力学(ミクロの物理学)の世界では、事象は人間の意識(思い)が支配しているという認識になっています。

 量子力学の構築者、ヴェルナー・ハイセンベルグは、「原子を構成する素粒子(電子)の、ある瞬間の位置を知ろうとして、人間が意識(ガンマ線)を向けるとガンマ線の影響で元の運動ではなくなってしまう。運動を知ろうすると位置が不確定になる。結局、二つ以上の物理量(位置、速度、エネルギーなど)を同時に確定することはできない」(『不確定性原理』1929年)と言いました。

 この理論は、衝撃的な理論であって、私たちが当然と思っていたニュートン力学的な法則、飛んでいる矢の、今の位置と速度を測定すれば、1秒後の矢の位置は決定するといった現実は存在しないことになりました。
 私たちの概念が追い付かないのですが、この「不確定性原理」的な考え方に従うと、人の思い(意識)は、電磁波として四方八方に広がっているわけですから、人が存在することで、すでにその周囲の素粒子はすべて運動を変えていることになります。
 つまり、自分が存在することで、自分の周囲は自分の思い(意識)に影響された現実になっていると考えざるを得ないのです。

 さらに、エルビン・シュレディンガーは、「すべては、確立性を持った波動関数として存在しているだけで、人間の意識(思い)が一つの状態に収束させるのだ」(『波動関数理論』1953年)と言いました。物質の元になるものは、霧のようにもやっとした状態であるだけで、意識が特定の物質に定めるのだと言っているのです。
 このようになると、現実は100%意識(思い)の産物ということになります。

 しかし、いくら物理理論を言われても、現実サイズで実感できないと思います。私もそうなのです。
 イメージをつかむ方法として、「フラクタル理論」(私たちの目にする事象は、微細要素の相似集合になっているという理論)を接木して考えたらどうでしょう。例えば、四角形の積木で大きな立体を作るとします。その場合、積木をいくら集めても、いくら並べ変えても、集合体は四角形の性質を持つことになります。丸や三角の性質を持つことはありません。これがフラクタル理論(自己相似集合)です。

 このような考え方をすると、素粒子に与えた自分の意識の影響が、現実サイズのものにも現われているとイメージできるのではないでしょうか。但しこれは、あくまでもイメージ化の方法です。

 さて、自分の見ている世界が、自分の意識(思い)の産物となると、人の数だけの世界があることになります。当然の帰結でしょうが、ヒュー・エべットが、「宇宙は自分の見ている宇宙の他、少しづつズレた別の宇宙が無限に存在する」(『平行宇宙論』1957年)と発表しました。平行宇宙の存在は実験によって確認されているらしいのですが、この実験の内容は、いくら本を読み直しても私には理解できません。

 このような量子力学の進化は、ますます釈迦の唯識論に近づいているように思えます。

 釈迦は、『華厳経』の中で、現実は「唯心の所現」だといっています。自分の体験している現実は、心(思い)が映し出されたものだというのです。
 しかも、「唯心の所現」であることを、自ら数々の超常現象で示しています。これは『雑阿含経』に多く記述されています。この経は、釈迦がまだ神格化されていなかった頃の教典なので、生身の事実をよく伝えている教典だといわれています。

 釈迦の説く「唯心の所現」は、シュレディンガーの『波動関数理論』に似ています。シュレディンガーは、「すべては可能性を持った波動として存在しているだけで、人間の意識(思い)が、一つの状態に収束させるのだ」と言いましたが、これは「唯心の所現」そのものです。

 又、釈迦は、『般若心経』で、「五蘊皆空」、「色即是空」と言っています。五感で感じるものは、堅固な実体ではなく「空」(バーチャル)だと言っているのです。これは、シュレディンガーの、「波動で存在するという考え方に似ています。

 現実が幻想であることは古代より宗教で言われてきたことで、釈迦の専売特許ではありません。イエスも、「唯心の所現」は当たり前のことと思っており、空中から五千人分のパンを取り出したり(マタイ伝14章19節)「この山に向かって『立ち上がって海に飛び込め』といえばその通りになる」(マタイ伝21章21節)とか言っています。
 しかも、「私がしたようなことはあなたたちにもできることである」と言っています。

 ここで話しを中断しますが、おそらく次のように考えていると思います。現実が幻影であろうと、実体であろうと、五感で同じように感じるならどちらでも同じことではないかと。
 実は、同じではないのです。現実を実体だと信じると、唯物世界、ニュートン力学の世界から一歩も出られなくなってしまうのです。
 
 般若心経では「照見五蘊皆空、度一切苦厄」と説いています。つまり現実を幻想(バーチャル)と照見すば、一切の苦厄を度すことができると。
 現実は、自分の思いが所現したものだと知れば、外を動かさなくても、自分の側の意識処理で、現実は自由に改造出来ることになります。

 また、幻影(バーチャル)だと知れば、物理的因果律を踏まずに事が考えられますから、現実を十倍にも百倍にも拡大することができ、それだけ大きい人生を楽しむことができます。イエスの言うように、一生で百生を体験することも可能になります。このような事から、現実を幻影と考えるか、実体を考えるかは、大変重要なことになってきます。

 本質を知るのに、五感は役に立ちません。今日のバーチャルリアリティーの技術でも、3D画像を見ながら触覚感を体験することができます。五感で感じるからといって実体とはいえないのです。五感は体験のための道具で、本質を知るための道具ではありません。
 本質を知るのは思考です。量子力学が、ニュートン力学を超越したのは、五感を使わなかったからです。ミクロの世界なので五感が使えなかったわけですが・・・。おかげで思考のみを使うことになり、新しい世界を発見したのです。
 現実が、実体なのか、幻影なのかは、思考を使わなければとらえられません。

 さて、話しは元に戻りますが、現実が個人の思い(意識)で作られているなら(映し出されているなら)、人の数だけの現実(世界)があることになり、釈迦は「三千大千世界」という宇宙理論を説いています。
 これは、須弥山(一本の座標軸を意味するらしい)を中心にして、日、月、四天下、四天王、三十三夫、夜摩天・・・からなるものを一世界とし、これを千個集めたものを小千世界、さらにそれを千個集めたものを中千世界、そして、それをなお千個集めたものを大千世界と説いています。結局、人の数だけの宇宙があるということでしょう。
 これは、平行世界が無限にあるというヒュー・エベットの「平行宇宙論」と似ています。

 そして、『不確定性原理』、『波動関数理論』に加えこの「平行宇宙論」、「三千大千世界」という在り方も、コミュニティ(共同体)と深く関係してきます。次に、この説明に入ります。


・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつまでも暑い日が続きますね。台風が過ぎた後としては、暑いと言いながらも風が気持ちよくなりました。今日は敬老の日と言う事ですが、100歳以上のお年寄りが2万人を超えたと聞きました。私が子供の頃など、100歳なんて人間の歳とは思えず、80歳でもすごい長生きと思っていました。長寿日本、この先どんな国になるのでしょう。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  115号 2003. 9/15