**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   114号 2003.9/5

 9月というのに倉敷は連日30度を超える猛暑が続いています。夏が一ヶ月遅れになったのかなと思っています。
 政府は、来年度の国債発行を40兆円と言うし(国家予算の半分を借金で賄う)、長期金利は、1.5%ラインに入るし(6月頃までは0.5%ぐらいであった)、いよいよ抜き差しならない所に入ってきたようです。

 準備人その2などは、全くのノー天気で政府の財政と自分の生活は別のものだと思っています。政府がどうなろうと、自分の生活は以前の延長であると思っています。確かに生活はありますが、従来のような生活ではないです。

 食糧の60%、エネルギーの90%を輸入している国ですから、財政破綻によって「円」安基調になれば、生活の根底から変わるかもしれません。ガソリンが300円/Pぐらいになると、今までのような毎日車で動くといった生活は無くなります。自転車かバイクの移動距離から出ない生活スタイルを構築しなければなりません。倉敷のような地方都市の生活(1人1台の車を持って動いている)は、一番に破綻します。郊外の店鋪は軒並み休業に追い込まれるでしょう。

 道路にしても、今後破損したら誰が直すのかということになります。日本は事実上世界一の道路保有国です(単純計算だとベルギーが世界一)。これは、土地が小さな区画割になっていることと、密度の低い暮らし方が原因です。
 国家財政が破綻して地方交付税が配分されなくなれば、地方道の財源は大幅に減少します。壊れた道路は、抽選で直していくのでしょうか。それとも壊れたところから順に用途廃止していく(道路ではなくする)のでしょうか。
 道路は大変高価なインフラで、日本は有史以来、一度も道路を移動、運搬の基本手段としなかった国です。戦前までは海路(船)が基本インフラでした。また、そういう時代に戻るのかもしれません。

 そういったシュミレーションはいくらでも出来ますが、すべておとぎ話になりますから、そういう無駄なことはしない事にします。
 私たちは、為替レートとか、国家の政策とかにあまり左右されない生活スタイルを考えているわけですから、その方向にエネルギーを使います。

 前置きが長くなりましたが、既存コミュニティ(共同体)の事例研究に入っていくための、前提情報(新サイト用の『人間が地球に生きるとはどういうことか』の一部)を紹介します。いきなり2章の文章で、分かりにくいと思いますが、速度を早めるためにこの方法にしました。

『人間が地球に生きるとはどういうことか』

2.現実の作られ方

(1)「作る現実」と「作られる現実」

 禅の世界から、いきなり物質的な話しになりますが、これは連続した話しです。地球を生きることとは、三次元空間に身を置くということであって、それに連動しない真理など無意味です。真理(本来の生き方)が、現実とどのようにかかわるか、前奏曲程度に少し紹介します。

 宗教的な見解では、頭脳で分別する以前のところに本来の生き方があるといっています。しかし、善悪の分別をしなくても全体がうまく成り立つのだという、全体システム(原理)の説明がされていません。これではどうしようもありません。
 このサイトでは、きちっと説明するつもりでいますが、古代より宗教でもうまく説明されてこなかったのは、相当量の前提知識を必要とするからでしょう。

 本論に入る前に、そういった前提の一つ、二つに触れておきます。
 まず、善悪の分別によって能動的に「作って行く現実」と、無分別(内側の衝動、催し、印象に従う)で成すがままに「作られて行く現実」のどちらが効率的で楽かというと後者です。しかも、後者の方法にはストレスもありません。

 頭で判断しながら「作って行く現実」は、根本的には自分勝手の現実です。人間の頭脳には、他者が何を考えているかを察知する能力はないですから、頭で考えるということは、結局、自分勝手なプランを立てているということになります。
 それによって「作って行く現実」には、関係するすべての者の負荷がかかります。お願いしますと言っても、お金を払いますといっても、相手の積極的合意によるものではないですから、マイナスエネルギーが発生し、それは「作って行く現実」を壊すエネルギーとして働きます。したがって、何も手を加えなければすぐ壊れる運命を持っています。
 保つためには、マイナスエネルギー以上のエネルギーを注ぎつづけなければなりません。これはしんどいです。

 それに対し、無分別で、衝動や催し、印象に従うことで「作られていく現実」には、他者の負荷のかからない現実ですから、壊れにくいし、それを保つエネルギーも必要としません。
 後で詳しく説明しますが、自分の内側から来る衝動や催し、印象といったものは、万物の合意のサインだからです。それによって「作られた現実」は、万物にささえられた現実なのです。

 先に取り上げた、迦葉が阿難に法を渡した時の、あの分別する間もない「ハイ」という返事の場面は公案(「迦葉刹竿」)にもなっており、『無門関』の中で、無門和尚は「陰陽に属せず別に是れ春」と解説しています。作用、反作用(負荷)のない天国の位置だと。本来の生き方の中に負荷はかからないと言っているのです。これが悟った人の見解です。

 しかも、事はダイレクトに(因果律を踏まず共時性によって)展開しますから、効率的で早く進みます。この理由も全体原理のところで説明します。

 次に、これは一つの疑問だと思いますが、誰かがそういう無分別の行動を取り始めた時、社会はどうなるのかということです。
 今の社会は、善悪(時代の価値基準)のフィルターを通して行動することを前提にして組み立てられているのに、そこにフィルターを通さず行動する人が出てきたら、社会は壊れてしまうのではないか、当然このような疑問が出て来ます。
 結論から言えば、社会は壊れません。大企業が債務不復行を行っても社会は壊れないのですから・・・。違反者を除いた状態ですぐ新しい秩序が作られて行きます。
 しかし、自分の世界(それまで善悪ルールで作った世界)は完全に壊れます。壊れるもののこちらも無分別ルールの世界がすぐ作られて行きます。しかも、新しい形で、善悪ルールの世界と共存できます。

 人間とネコの関係は、全くルールの違うもの同志の関係です。人間はネコをかわいいペットと思ってエサを与えています。しかし、ネコは、人間を便利な召し使いと思っているかもしれません。同一の価値観の中では理解できていないのですが、共存できています。このように考えればわかりやすいかもしれません。

 しかし、宗教も不親切なところがあって、善悪ルールの世界を出ようと言うものの、後始末のことは説いていません。
 イエスも「・・・私の名のもとに、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑などを捨てたものは、今、この世では百倍の家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を受ける。しかし、また、それとともに迫害もある。そして、来るべき世では永遠のいのちを受ける・・・」(マルコ伝、10章29節)と言うだけで、迫害に対する処方箋は述べられていません。

 この話しの内容は、善悪ルール(因果律)で得た世界を捨てると、すべての関係がニュートラルな関係になり、必要なものには、因果律を無視して接がるようになるので、世界が百倍も大きくなるといっています。すべての人と初対面の関係になれば、誰とでも話しができるわけです。
 禅の世界にも、「無一物中無尽蔵」という言葉があって、同じ意味です。

 正直なところ、ルールを変えたことから生じる迫害をうまく納める方法はないのでしょう。この意味で、善悪ルールの世界から追い出されたとき(仕事を失ったとか、経済破綻したとか)が最大のチャンスです。向こうから、三行半が渡されたのですから、以前の関係を納める工夫も必要ありません。即、無分別ルールの世界へ入れます。
 しかし、その世界のことを知っていなければ入りようがありません。毎年3万人もの人が自殺しているのは、まことに残念なことに思います。

 この章で伝えたいことは、思いを現実化する方法として、一度、善悪のフィルターを通して行動する方法と、それ以前の、衝動、催し、印象、予感・・・といったレベルで行動に移してしまう方法の二つがあって、宗教では後者の方法が、人間本来の生き方だと言っているのです。しかも、その生き方から得られるものは非常に大きいと。


・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
紹介した文章の1章は新サイトの方に書いていきますので、時々覗いてみてください。しかしこんな事を書いても、新サイトは中々進んでいないのです。将来的には内容豊富で、いろいろなリンクもあり、人類救済のようなサイトにしたいと思っているのですが・・・。

**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  114号 2003. 9/5