**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   111号 2003.8/5

 西日本では、7月末に梅雨が明けました。それと同時にセミの大合唱です。
 前号でお知らせした村のイラストが取り合えずネットに載せられました。まだ工事中で、かろうじて見えるという代物です。近い内にきれいに整理できると思います。

<新サイト開設にあたって>

 かねてより新サイトのことが気になっていたのですが、やっと構想がまとまりましたので報告いたします。

“癒しの郷”計画は大きなプランです。数十人規模のコミュニティを、一つ二つ創る計画ではありません。そんなものでは理想とする生活が実現しないからです。
 欧米で創られているような、数百人規模のコミュニティから、既存社会から独立性を保った状態で自立できますが、(イタリアのダマヌール共同体は、人口750人のとき自治政府として独立国家となっている)、数十人規模では既存社会にくっついた生活しかありえず、時間の経過と共に同化して行き、既存社会と運命を伴にするこになります。

 小さなものが、独立、自立して行くには、同時期にいくつか作り、連携体制を取って行くことです。このことは以前からも言っていますが、“癒しの郷”計画の基本的なスタンスです。

 新しいサイトは、個人のサイトではなく、プロジェクトチームのサイトと考え独立した人格(心紀ヒューマン計画)を設定しました。この屋号は、私がコンペ出品する時などに使っていたもので、行政手続きを取っている屋号なので取り合えず流用しました。
 今後、NPO「癒しの郷プロジェクト」のようなものを考えていただくとよいと思っています。情報の交通整理をして下さる方がいれば、未発表の文章も出せます。

 当面、新しいサイトは、次のような構成でスタートします。

情報発信責任  心紀ヒューマン計画
構想・協力   中野仁慶
編集・表現   癒しの郷準備室(当面家族一同)

 新しいサイトでは、準備人その1のイラストや図などが多くなると思いますが、これは、編集・表現者の手によって行われますから、どうしてもオリジナルを離れると思います。新しいサイトの情報は、何人もの人の感情が融合された「心紀ヒューマン計画」の情報と考えて下さい。

<有料ページの新設>

 新しいサイトでは、一部の情報を有料方式にします。理由は、次のような事からです。

1.サイト運営費の捻出のため

 家族では、時間的にも能力的にもサイトの運営管理が難しくなったので、業者の方に依託することにしました。その費用の捻出で会費ということも考えたのですが、それぞれ関心度も異なりますから一律の会費は問題があります。そこで、関心度に応じてサイト運営費の協力をしていただく方法として、有料ページ方式にしました。これは、この情報がいくらという考え方ではなく、資金協力していただいた方へのお礼といった趣旨のページです。

2.アイデア、提案のセキュリティのため

 今後、アイデアや提案のやり取りも考えられ、それはイラストや図面を介して行うことになると思います。本来なら実用新案などの申請も資金もないですから、有料という垣根を作って、必要な人だけに情報伝達する方法を考えたいと思っています。これはまだ構想段階です。
 とにかく、オープンにして関係のない第三者に実用新案など取得されると、アイデアを出した私たちが使えなくなります。

3.コミュニティに参加する人の生活と財産を守るため

 今の時代は、けっして安定した時代ではありません。体制破綻、天変地異、戦争などの危険がとなり合わせにあります。もし何か大きな事があれば、戦時中にあってような過疎ということが始まるでしょう。
 コミュニティの候補地、建設地など、あまりオープンに伝えて行くと、何かが起こったとき避難目標になり、私たちのコミュニティが作れなくなります。又、建設にでも入っていれば、破壊される(出資が無になる)恐れもあります。家や仕事を失った人がやって来たとき、帰って貰う方法はありません。50人スペースに70人が集まれば全部破綻です。

 情報発信場所や計画はオープンにしますが、そこから先は、ある程度クローズドにする必要があると思っています。
 これも構想段階ですが、聞くところによると、有料というのが一番よいらしいです。千円ぐらいでも十分選別できるということらしいですから、これは業者の方にアイデアを出してもらうつもりです。

以上、新しいサイトについての報告でした。メルマガ「癒しの郷を創ろう」は、今の延長で進みます。


・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
読者の皆様、「癒しの郷」準備人の素顔がどんどん公表されます。「心紀ヒューマン計画」何だこれは、と思われたことでしょう。それ以上に「中野仁慶」が名前なのか、と思われたでしょうが、実はペンネームです。準備人その1のプロフィールには書かなかったのですが、20歳代の頃禅にも興味があったらしく、宝福寺(雪舟が涙で鼠の絵を描いたという寺)という禅寺の老師と会っていたようです。 その時に道号「仁慶(にんけい)」を預ったということです。この老師は 臨済宗東福寺派東福寺第102世管長、岡田煕道老師でした。そして、大阪で仕事をするようになった時、京都の○○老師を訪ねるように言われていたのに、訪ねずに俗世間の忙しさの中で生きて来たようです。おそらく本人もこの道号は預かっただけで、適切に使う事も無いと思っていた四半世紀ですが、この度のプロジェクトの為に頂いた名前だと気がついたようです。今後の人生は「仁慶」として生きようと心に決めたようです。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  111号 2003. 8/5