**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   85号 2002.11/15

 前号で、日本の農山村(低密社会)の暮らし方と、そういう所へ移住していく技術論を紹介しました。そして「癒しの郷」は、自ら生活機能グループ(共同体)を構成し、自治会の一つの「組・班」として入っていく計画のものだと。

11.農山村に生活基盤を作る方法(6)

<自治会が手に入る?(2)>

 私たちは、自治会の一単位として入りたいわけですが、農山村の側ではそういう受入れ方法を考えている所はないようです。こういう社会技術的なことも十分考えていないので、やはり過疎を止めるのは難しいといえます。

 農山村の過疎化は、前号で紹介した宮島町のような速度ではありませんが、これは、大半の人が、農地、山林を所有しているために、家族全員転出が難しいからです。
 しかし、地域に残っているのは親世代ばかりですから、時間とともに高齢化率は高くなっており、自治体レベルで50%まで来ている所もありますし、集落、地区レベルでは、100%といった所がいくらでもあります。まもなく、急激な自然減(死亡)が始まります。

 地域人口が減少すると、社会機能が大きく低下します。学校がなくなったり、商店がなくなったり、バス路線が廃止されたり・・・。
 そして今度は、そのことによる生活の不便から社会減(転出)が始まり、さらに社会機能が低下するという悪循環が始まります。

 私のいる岡山県などでも、来年あたりから中山間地域のたくさんの高校が統廃合されることになっています。その結果、学校が遠くなり、年間の定期券代が30万円ぐらいになる人もいるといったことがニュースで流れていました。

 おそらく、30万円も定期券代を払うぐらいなら、家族全員で引っ越そうということになるでしょう。そして、前号の宮島町のように、機会あるごとに住民は近隣の町に出て行くということになるのです。
 以下、市町村合併の是非についての原稿があるのですが、話しが長くなるので省略します(準備人その2の独断)。

 過疎の進行で、社会機能、集落機能の低下が進んでいる自治体に、危険集落のサポートを条件に、“癒しの郷”の話しを持ち出せば、多くのところが興味を示すでしょう。
 これは81号でも触れましたが、三方が丸く納まる話なのです。集落自身も助かることであり、行政面でも集落サポートの手間が省けることであり、自治体は歳入の面で助かるといった話しです。

 79号で、小さな自治体の歳入は地方交付税が基本財源となっており、その他交付税は人口が計算の基礎になっていると説明しましたが、金額で言うと1人30万円〜50万円ぐらいになります。100人ぐらいが移住すると、毎年、3千万円〜5千万円の歳入増につながるのです。
 したがって、よほどの問題でもない限り、自治体が拒否することはないでしょう。問題なのは、受け入れる立場の集落の方です。農山村集落は、人の出入りがない事を前提としたような仕組みになっており、移住者を受け入れる社会技術がないからです。前号でも、私の家の体験を紹介しましたが、これについては、自治体といっしょに新しい文化(21世紀の仕組)を作っていくしかないと思っています。方法は考えていますが、説明は別の機会にします。

 農山村の崩壊を、意識世界の方から見ると、自我世界(個人を単位と考える世界)が崩壊しているという見方もできます。個人を単位としては暮らせなくなっているわけですから・・・。
 そして、グループ(共同体)を構成すれば暮らせるということはグループ意識(集合意識、脳波でいうと7ヘルツあたりの地球と同じ周波数)を使う場になりつつあると見ることもできます(自我意識を基本にして、ルールや規律で秩序を保つ共同体も作れますが、これは長く続かない。どんなルールも個我の自由を奪うから)。

 ついでながら、都市は自我意識が使える世界かというと、今はそうですが、次第にあやしくなってきています。今の都市は、たくさんの自我意識が微妙なバランスで保たれていますが、何かあると、本当に些細な何かですべてが崩れ去る世界となっています。崩れたなら、もう再構築は不可能でしょう。

 アメリカ先住民の活動家、サン・ベアという人が、都市の崩壊を幻視し、その情景を本に書いていましたが、災害による送電の停止、何らかの原因によるガソリン不足、乗り捨てられた車、ゴミの山・・・この先は、地獄絵が描かれていした。阪神大震災のときの神戸のようでした。
 単純な原因で、個人を単位とする社会はパニックに陥り、もう再構築できなくなるのです。日本でも電気、ガソリン、食糧などの一つが、全国レベルで一週間止まることがあればそうなります。

 なお、サン・ベア氏は、同時に地球と親密に生活している小さな集団を見たといっており、共同体づくりの敬蒙活動をしています。このサン・ベア氏の考える共同体も、当面は都市と農山村の二カ所に生活基盤を持つ方式です。以前の号で紹介したと思います。

 現実界の話しに戻りますが、人口が減り社会(集落)機能が低下したところには、個人は移住できないですから、グループ生活者を招くしかなくなります。
 又、地元の人の中にも、グループ生活にシフトする人も出てくると思います。社会機能が低下すれば、自給度を上げていくしかないわけですから、グループ生活にシフトして自給度を上げるか、都市に出て行くかの選択しかありません。

 さらに、若い人の中には、都市から来た“癒しの郷”のようなグループに入りたいという人も出て来るでしょう。これは、かつて女性が、結婚就職という考え方をしていましたが、これと全く同じでコミュニティ(共同体)帰属という生き方が生まれるでしょう。イスラエルに、共同体生活団体「キブツ」がさかんに作られていた頃そういった生き方が生まれました。

 少人口社会が過疎化していくと、社会機能が極端に低下するので、グループ生活の必然性が出て来るのです。これは、開拓入植などで、約束したわけでもないのに、自然に共同体的な生活になって行くのと同じことです。

 このような事から、小さな自治体では、やがてグループ生活者が多数派になるときが来て、その中から議員や自治体の長が出てくるでしょうから、自治体はグループ生活者のものになるわけです。これが今回のテーマの結論です。
 なお、全国の小さな自治体は、皆同じところに行きつきますから、横の連携を取っていったなら、35号、40号あたりで説明した「コミュニティ連合社会(国家)」が作れることになります。

 以上のような社会は、P・サーカー氏の提唱する「進歩的活用論(プラウト)」や、出口王仁三郎氏の「国家構想論」でいわれている「自給できる共同体を社会の最小単位とする社会」でもあります。

 71号で、「進化は小集団の中から始まる(新しいものが多数派になれるため)」という進化論の一つの結論を紹介しましが、まさにそれを実正することにもなります。
 何回か紹介した『日月神示』に示されているように、「世界の片端浜辺からいよいよが始まる・・・」ということになり、やがて「田舎に都、都に田舎ができる・・・」ということになるのでしょう。

 だんだん話しがおもしろくなってきたので、次回もこの続きで進めたいと思います。
 なお、マーケティングの理論から、自治体の選び方、集落の選び方を説明したいと思っていたのですが、あまりにも生々しい話しになりそうで、とてもオープンサイトでは説明できません。別の方法を考えます。


・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界もそろそろ危なくなってきました。はやく「癒しの郷」を作ってみんなを受け入れなければならないと思っているのですが、現実はなかなか進みません。ネットで情報やマニュアル紹介をしていても肝心の過疎地の人達には届いていない様子です。いっそのこと、啓蒙講演行脚でもしようか、という話しまで出て来ました。交通費を負担して下さり、最寄りの駅まで迎えに来て下されば、何処にでも出向くのですが・・・・。誰も呼んでくれませんよね。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  85号 2002. 11/15