**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   74号 20027./25

 前号は、人為(自我思考)の極限を追求するのか、無為(摂理)に委ねていくのかという、この世を生きる上での根本方針の話をしました。

 今回は「日本人の自給観(自給能力)と共同体システム」というテーマを取り上げます。無機的なシステムの話しですが、共同体の器となる部分です。
 細部まで、具体的に説明していくと本1〜2冊の量になると思います。今は進め方が定まっていないので、今回は、概略説明だけにします。

<日本人の自給観(自給能力)と共同体システム>

 欧米人が、自給の生活を考えるときは、衣食住はもとより、エネルギーまで自給することを考えます。実際、風力発電やソーラー発電によってエネルギーを自給しています。
 それに対し、日本人の考える自給割合は低く、エネルギーの自給をしている人などまずいません。多くの人は、食の自給をもって自給生活だと思っています。

 これは、風土の違いからきたものです。大陸では、100キロメートル移動しても、同じ気候、同じ地形ですから、同じような産物しかなく、したがって、交易(社会分業)に頼れず自給生活にならざるを得ません。フランスなどでは、「地産地消」という考え方が強いですが、これは主義ではなく、そうせざるを得なかったということです。

 これが民族の体質となり、また文化となっています。欧米諸国が割高になっても食糧とエネルギーの100%自給を実現するのは、自給民族の体質といえます。

 それに対し日本は、山の中に住んでいても、30キロメートルも移動すれば平野に出、さらに30キロメートルも行けば海に出るといった国です。
 こういう所では、自然に交易型(分業型)の生活になってしまうのです。無理をして自給するより交易の方が効率が良いからです。

 一般に、農村の生活といえば、自給自足の生活のように思われていますが、日本の場合、千年過去に遡って見ても、エネルギー(マキ、炭)は山村から買っていますし、住居は大工さんが建てています。
 このような生活文化(分業文化)が、日本人の自給能力を低下させてしまったともいえます。

 このことは、自給型共同体システムを考えるとき、十分考慮しなければならないことです。食を越えた自給生活を望んでも、そこから先は生活文化的に非常にハードルの高いものになっており、簡単には実現できないのです。

 住居を例に取りますと、欧米は今でも石積、丸太横積(ログハウス)、ツーバイフォー(2インチ×4インチの材料のみを使う)方式であって、高度な技術を要するものではないですから(下から順番に作っていく工法)、根気さえあれば素人でも家は建てられます。

 それに対し、日本の住宅工法は、軸組工法という高度な加工技術、組立技術を要する工法です。しかも、組み立てる時は、たくさんの人手を使って一気に全体を組み立て、屋根から仕上げていくという素人にはわかりにくい手順で作って行きます。
 日本は雨が多い国なので、先に屋根を仕上げないとその後の作業が進まないのです。

 交易型体質の日本では、早くから社会分業が進み、住宅なども専門化の仕事となったために、どんどん高度な技術が使われるようになったわけです。
 そのことが、逆に素人には手のつけられないものになり、住宅づくりの技術を失わせたといえます。

 欧米にたくさんの自給型共同体の作られる理由の一つは、住宅が自分で作れるということにあります。日本の場合、住宅が作れないために共同体づくりがハードルが高いものになっています(住宅を手作りする方法は、過去の号でも少し触れましたが、いづれ一つのページにします)。

 ついでに、問題になりがちな教育のことに触れますと、アメリカなどには、ホームスクール(自宅学習)という教育システムがありますから(西部開拓時代から始まっており、最近では都市部でもこのシステムを利用する人が多くなっている)、自給の生活に入っても教育にこまることはありません。

 しかし、日本には、そういう教育システムがないですから、自給の生活に入っても子供は学校に行かせるしかありません。ここでも、自給の割合を上げていくことの難しさがあります(このことも過去の号で、共同体の全国組織を作ってそこでテキストのようなものを作るプランを紹介しました)。

 なお、自給割合を高くしていく難しさは、外的要因だけでなく、私たちの日常生活の考え方の中にもあります。
 元々、自給思想の希薄な民族なのに、そこに勤労型の生活が入ってきたものですから、そらに拍車をかける結果になり、自分で(家庭で)出来ることでも現金サービスに頼るという生活になり、必要以上に自給能力を低下させています。

 現在の私は自給生活をしているわけではないのですが、散髪は学生時代から自分でしています。当時は長髪が流行だったのですが、長髪を専門にカットしてくれる散髪屋さんはなく(学生時代はお金もなく)、自分でカットしている内に慣れてきて、すでに30年ほど散髪屋さんには行ったことがありません。
 慣れてしまえば、ヒゲを剃るのと大差はないのですが、すぐ出来るようになることでもありません。

 自給型の生活を考えるとき、私たち日本人は、一気に自給度の高い生活には入れないと知っておくべきです。時間をかけて自給度を上げていく方法になります。

 当面、自給がどの程度できるかということを、わかりやすく言いますと、仮に今、月10万円で生活しているとします。この内、食費が3万円だとすると、その部分が自給になるだけで、残り7万円の部分は従来通り現金でサービスを買う生活になるということです。

 このような事から、農作業に多くの時間を使うと7万円の収入の部分に対応できなくなって、生活に行き詰まってしまいます。
 自給の生活を目指して、農山村に移住した人が、何年かすると都市に戻ったりするのは、当然のことともいえます。農山村に生まれた人でさえ、地元では7万円の部分の収入の道がなく都市に出て行っているのですから。

 そのような事を踏まえて、自給型共同体のシステムを考えると、自給割合の低い時代の形として、農山村と都市(中核都市クラス)の二カ所に住居を持つシステムを基本にすべきだろうと思っています。個人(家族)にはできないことですが、グループなら簡単なことです。

農山村の住居・・・農業を主に行う場所
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 │  (週末、車で移動できる距離)
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 ↓
都市の住居・・・・現金収入を得る場所
         その他、ここから学校に行く等
         買い物、通院なども都市の住居を活用する

 次回は、このシステムをもう少し詳しく説明したいと思っています。
 

・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現在、我が家はアナログでインターネットにつないでいます。ADSLにしようかCATVにしようかと迷っていると、秋頃には光ファイバーも使えるらしいし、電力会社のサービスも始まるらしいのです。都会に比べたら遅いサービスですが、地方も便利になったものだと喜んでいます。しかし、「癒しの郷」を作りたいと思うようなところでは、おそらくテレビもまともに受信できないし、まだまだアナログ回線でしかつなげないのだろうと思います。ITが整備された過疎地を探さなくてはいけません。贅沢な願いでしょうか。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  74号 2002.7 /25