**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   36号 2001.8/5

 準備人の居住地は連日連夜の酷暑です。暑過ぎて蚊も虫も少ないです。
今回は「コミュニティ国家に向かう」というテーマの予定でしたが、準備人その2が面白い新聞記事を見つけたので、その話しを書きます。7月29日の読売新聞の本を紹介するページで

ジョナサン・ビーチャー著 「シャルル・フーリエ伝」
福島知己訳 作品社 6800円

 上記の本の書評を東京大学助教授 金森 修氏が書かれていました。

 前々回34号に書いた話を要約すると「行き過ぎた分業(遥か彼方の何処の誰とも判らない人に自転車を売るような経済システム)が、流通業者を必要とし、要らぬ費用を発生させる」というような内容のことに少し触れていますが、私共が言いたい事と酷似している文章があったので、抜粋して紹介します。

「この人は、やはり少し変だ。織物商人の息子なのに、一生をかけて商業を憎み通す。商人とは、生産者と消費者の間を取り持ち、必要以上の利益をむさぼる寄生虫のようなもの。その罵詈雑言が至るところに奔出し、読者をうろたえさせる。

 それなら、どうすればいいというのか。流通一般が寄生体というのだから、代替案は目に見えている。消費者と生産者が同じ場所に住み、自給自足の小集団を作るようにすればいい。この仮想的集団社会を提唱したせいで、マルクス主義者からは空想的社会主義などという、あまり有り難く無い形容をあびせられることにもなる。

 だが、その独立社会では、労働をすることがそのまま楽しみや情念につながるように組み立てられている。ちょうどチョウチョがあっちにヒラヒラ、こっちにヒラヒラするかのように、魚を釣っては一服、本を読んではのほほん、畑で野菜をいじって土に触れて、ミサで神様にお祈りもする。働くことは聖なる気まぐれ、瞬時の楽しみに形を変える。

 ニュートンが落ちるリンゴをみて万有引力を着想したといわれるように、自分は、流通の果てに原価を忘れ、恥知らずな高級品に化けたリンゴを見た時の憤怒を大事にしたい、そう述懐する彼。ニュートンのリンゴならぬ、フーリエのリンゴ。・・・・・」

 私は、シャルル・フーリエのことは全く知らないのですが、この書評では幻視者フーリエと書いていますから、そういう人なのでしょう。

 私はこの書評を見た時、以前紹介した自然農法の福岡正信氏の言っていることと、同じだと思いました。どの本の何ページといった具合に紹介する事もできますが、長くなりますので、結論だけ言っておきます。

 実は、シャルル・フーリエも福岡氏も、神の世界(宇宙の原理・摂理がそのまま現れた世界)の法則で言っているのです。何かのきっかけで、神界を垣間見たのだろうと思います。

 私にどうしてそんなことがわかるのか、言えるのか、と言う疑問が出て来るでしょうが、これを説明しだすと長い話になりますので(もう一つメルマガが作れる)、ここでは、神界の秩序・法則を語っているということで理解しておいて下さい。

 なお、「癒しの郷」は、神界と今の現界との中間の世界をデザインしています。次回はこの事を説明します。
 シャルル・フーリエからとんだ寄り道になってしまいましたが、いろいろな方面から私共の考え方をご理解頂けたらと思っています。


・・・・内輪話しですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
読んだ事もない本や全くしらない人物を紹介してしまいました。さっそく本を探しているのでが、まだ見つけられません。そのうえちょっとお高いです。こういう時は「必殺図書館」という手を使います。図書館にリクエストカードを出しておけば、いずれ読みたい本が手に入ります。何週間もかかって本に巡り合える時もあります。図書館を利用したことが無かった時は、しょっちゅう本を買う為に部屋に本が溢れていました。しかし図書館を利用するようになると、買う前に借りて読み、購入しておくべき本かどうかを判別することが出来るようになりました。お陰で本当に必要で購入すべき本は少なくなりました。図書館様様です。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  36号 2001. 8/5