**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   34号 2001.7/15

 コミュニティ(共同体)社会が意外に簡単に作れるかもしれない、と言った話しが続いています。
 その関連で、今回は「物物交換(バーター取引)の経済の必要性」に触れておきたいと思いますが、これを説明するには、今の分業経済の問題点に触れておく必要がありますので、先ずそこから入ります。

○ 今の分業経済の問題

 仮に私が小売価格1万円の自転車の生産者であったとします。その私が、小売価格1万円のプリンターを買いたいと思ったら、自転車を製造して現金を作る訳ですが、私は生産者価格で売る訳で、この価格を1台5千円とします。
 しかし、5千円の取り分の中には、材料費や販売費が入っている訳ですから、それを差し引くと半分の2千5百円が残るとします。
 そうすると、1万円のプリンターを1台買うには、自転車を4台生産・販売しなければならないという計算になります。

 なお、その自転車を買う4人も、それぞれ小売価格で4万円程度のものを生産・販売しないと買えないと言う事です。これは無限に続きます。
 今の経済は、拡大しないと成り立たないネズミ講のような経済です。ネズミ講は最終的には破綻します。今の経済も破綻で終わるしかない体質を持っていると言えます。しかも、末期に近付いているように思えます。

 そのことに少し触れますと、日本では1975年から借金をして国家予算が組まれるようになりましたが(日本に限らず先進国の全てがそういう状況)これは、民間だけでは十分な消費が無いので、自転車4台の内の1台くらいは政府が借金してでも買うしかないという状況になっている訳です。

 ネズミ講的に言えば、子世代がいなくなったので、未来に生まれて来る人たちを子世代として利用していると言う事です。「こんなのあり?」と言った状況です。

 今、財政の借金は666兆円と言われていますが、最終的に行政の責任となる債務(公社、公団、第3セクターなどの赤字)を含めると1千兆円を超えると言われています。国民一人当たりで言うと800万円の借金になります。生まれた子供を戸籍登録すると800万円の債務者になると言う事です。(ほとんどはここ20年ぐらいで作った借金です)
 この800万円は、近い内に現金(税金)で払うか、インフレで払うかと言うことになります。

 余談ですが、小泉総理はソビエトを崩壊に導いたゴルバチョフのような役割をするのではないかと思っています。ゴルバチョフはソビエトの構造改革ペレストロイカに着手したのですが、時すでに遅しで、弱っていた体制にムチを打つことになり、あっけなく国家破綻となりました。
 日本の場合も、財政の借金が臨界点を超えていますから、些細な刺激でとんでもない事が起きる可能性があります。
 とんでもない事が起これば、それが新しい体制のスタートになります。

 本論に戻りますが、今の経済システムの根本的な問題は、行き過ぎた分業にあるように思います。
 例えば、家庭内で母親が食事の用意をし、子供が風呂の用意をすると言った分業は効率が良くなるのですが、家族がそれぞれアパート暮らしをしていて、何百mも離れているのにその分業を行ったらどうなるでしょう。移動時間が大きくなり、かえって非効率です。

 ところが今の経済は、この非効率を当然のように行っている訳です。
 小売価格1万円の自転車が5千円でしか出荷出来ないのは、流通費用(遠く離れた消費者と結び付ける費用)が掛かる為であり、生産者の取り分が十分で無いなら数を作ったら良いと言う方式です。しかし、今、数の販売に行き詰まったのです。

 この数を増やして行く経済から最初に脱落したのが、農業です。日本の農業で言いますと、分業で無かった頃の農業は1haぐらいの規模で一家の生活が出来たのです。
 ところが、工業と同じように分業化し、各自単一作物を大量に作り、それを生産者価格で売って、生活に必要なサービスすべてを小売価格で買う生活になるとすぐ行き詰まってしまいました。現金が足りないのです。

 もっと生産量を増やさないと生活出来なくなったのですが、農業の増産は土地を増やすしか無く、土地を増やせば人手(又は機械力)もかかりで、さらに現金不足となりました。
 1960年頃から、機械化貧乏と言われるようになり、大半の農家は兼業でしか成り立たないものとなりました。

 この農業の問題は、そのままな自給型コミュニティ(共同体)の問題となります。自給を基本にすると言っても、100%の自給は無理ですから、どうしても売買経済の部分が出て来ます。

 特に農業の場合、適地適作ということもありますし、いくら広い農地があっても畑でコメは作れませんし、水田で野菜は作れません。そして自然条件の影響も大きく、寒い所でおいしいみかんは作れませんし、暑い所でおいしいりんごを作るのも無理です。
 この時、みかん4個を生産者価格で売って、小売価格でりんご1個を買っていたのでは、今の農業と同じでやっていけなくなります。開拓入植の失敗もこのパターンが多いということです。

 ここで必要になってくるのが、物物交換(バーター取引)なのです。物物交換なら、小売価格が同じならみかん1個とりんご1個の交換が出来る訳ですから、農地の面でも、労働の面でも助かる訳です。

 物物交換のメリットは、何も農業に限ったことではありません。小売価格が等しいなら自転車1台とプリンター1台の交換も出来る訳で、無駄な資源浪費も無くなり、環境汚染の問題もずっと少なくなりますし、労働時間も少なくて済みます。

 やっと物物交換の話しになって来た所ですが、長くなりましたので、次回に、物物交換(バーター取引)の必要性が、一気にコミュニティ(共同体)社会を作る事になると言う事に触れたいと思います。


・・・・内輪話しですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実際に私たちは、物物交換が適正に出来るでしょうか。今の世の中のように、他人より沢山儲けたいとか、他人より沢山貯えたいと思っているような人ばかりだと、物物交換は成り立たないと思います。「癒しの郷」では、他人に沢山分けてあげたいとか、他人を沢山喜ばせたいと思うような人達が集まることを願っています。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  34号 2001. 7/15