**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   33号 2001.7/5

今回は「資本主義体制が崩壊したらどうなるか」ということに触れます。

 簡単に結果だけ推察しますと、共産主義体制の崩壊した東欧諸国やロシアと同じようなことが起きるでしょう。経済面でいうと、大変なインフレが発生すると思います。

 前回、今のようなお金の制度だと、モノの量とお金の量に大変なギャップが生じると書きましたが、体制の崩壊した時などにギャップが一気に表面化します。
 平常時は、いくらお金の方が多くても、持ち金を総べて消費に使おうという人はいせませんから、お金が多過ぎても表面化しません。
 しかし、危機が訪れると、総てのお金が消費に向かいます。お金そのものは食べられる訳ではありませんから、モノと交換しようとする訳です。
 需要が突然何倍かになります。しかし、異常時は、生産能力が低下します。大変なギャップが生じる訳で、総てのモノがオークションにかけられた状態になります。

 共産主義体制の崩壊したロシアでは、10年間で物価が6800倍になっています(これぐらいモノとお金の量に差があったということ)。これは、毎月物価が10%ずつ上昇していくといった状況です。年金は給与比較で12分の1程度と言われていますから、年金生活は破綻したと言えます。

 このようなあまりにも急激な物価上昇を避ける為に、しばしばお金の消去という方法が取られます。市中にお金が出回らないようにする訳です。お金が無ければ物価上昇に限界が出て来ます。

 130年前、幕藩体制が崩壊した時は、新政府は豪商らが幕府や大名に貸していた債権(お金)を全部切り捨てにしました。 
 56年前の敗戦による混乱の時は、預金を凍結して一定額しか引き出せないようにしました(新円切換え)。これは上手な方法であったように思います。
 もし、お金を野放しにしていると、金持ちがどんどん物価を吊り上げて行き、お金の無い人は全く生活が出来なくなってしまうからです。

 資本主義体制の崩壊に対し、どういう準備をしておけばよいのかと言う事ですが、考えればキリがありません。楽観的なことを言えば、インフレで大量の餓死者が出たという話しは聞きません。
 私は運を天に任せるしかないと思っています。いくら考えたところで、結局は、魂が体験したがっている現実(映像)を体験するしかないのだと思っています。

 重要なのは、精神面の切り替え、新しい生活概念の組み立て方だと言えます。
 私たちは、自分の育った体制の中で、自分なりの生活概念を組み立てて、その概念に沿って考え、行動しています。当然こうなる、こういう結果になるということをある範囲で予測しながら行動しています。

 しかし、体制が崩壊すると、それまでの概念が使えなくなりますから、身動きが出来なくなります。ちょうど、操り人形の糸が切れた状態になります。パーツは何処も壊れていないのですが、動かないという状態です。(精神世界の見方で言えば、自我が死んだ状態ですから、最も覚醒しやすい状態になっているとも言えます。覚醒する人はして下さい。この度は、次元上昇もあるということですから、覚醒した人は、ヨハネが幻想した「新しい天と地」に入るのでしょう。早ければこの7月という説もありますから、恐ろしいことが起る前に、次元上昇して、蚊屋の外へ出てしまう人がいるかもしれません。)

 覚醒はないということで話しを進めますと、身動きの出来ない状態のままでいますと、廃人のようになります。それは、幕藩体制の崩壊した時の武士、近代の帝国主義体制が崩壊した時の職業軍人などの実例があります。最近では、リストラされたエリートサラリーマンの話しも耳にします。

 したがって、いかに早く次ぎの生き方の概念を組み立てるかが重要な事になります。
 人間生活の原点は、共同(合同、分担、相互)と交換です。それをどういうルールで行うかということです。

 「癒しの郷」シリーズで考えている「共同体」という仕組みは、新しい概念を組み立てるヒント、選択肢の一つと言えるでしょう。

 次回は、コミュニティ(共同体)生活を考える上で、大変重要なことになる「物々交換(バーター取引)」について、考えてみたいと思います。これがコミュニティ(共同体)社会を必然的に作らせることになるかもしれません。


・・・・内輪話しですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「癒しの郷」ということで、精神世界に興味をお持ちの読者の方がいらっしゃると思います。実際メルマガを読んでみると、精神世界の話しではなく、コミュニティ(共同体)を作ろうと言う内容に、がっかりされた方もいらっしゃるでしょう。しかし辛抱強くご購読下さる間には、精神世界の話しに触れたり、経済の話しに触れたりコミュニティ(共同体)を作る上で必要な事を述べているのですが、精神世界がベースとなった話題が多いのにお気付きの事と思います。近年、精神世界と言う言葉が認知されたので、哲学であろうと宗教であろうと、説明が面倒になったら一まとめにして精神世界で片付く手軽さが便利です。一つ一つを深く追求されている方にとっては、違う、という反論があるかもしれませんが、どの分野でも探し求めている答えはただ一つで、そこに至るまでの道筋の違いのようにも感じます。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  33号 2001. 7/5