**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   25号 2001.4/15

 今年の桜は花冷えなどが影響して、結構長く楽しめました。ここ岡山の地では、桜の薄ピンク色と桃の濃ピンク色が共演する山々もあり、飛行機から見える岡山空港の辺りは、とてもきれいだそうです。

 今回も読者の方から頂いた問いかけに対して、準備人の気持ちと言いますか、考え方を述べて行きたいと思います。

○ 準備人その1の自然観、宗教観、宇宙観

 自然観、宗教観、宇宙観といったものを「癒しの郷」シリーズの中で触れておく必要があると思っていたのですが、なかなかその方向に入れませんでした。
 メールマガジンを始める前は、そこから入る構想も持っていたのですが、メルマガの中で思想、宗教論争になった時、それをまとめ上げて「癒しの郷」に持っていくだけの自信がなかったので、現実の生活の中の矛盾点から入って行く形になりました。

 思想などから入っていったグループは、結束力は強いのですが、その反面排他的なグループとなり、思想は進化していくものですから、出て行く人は止められず、先細りするというのが一般的です。

 衣食住という共通部分を大切にし、その中で様々な思想、信条が共存出来るような宇宙観を紹介出来ればと思っています。

 要は、人間の存在価値をこの世に置くか、あの世に置くかになってくると思うのです。
 あの世に置けば、この世での差異はそれ程の問題ではありません。今回はそういう体験をする為に生まれてきたのかと思えばすべてが許せます。

 人はこの世にしか存在しないものだとすれば、この世のことがすべてになりますから、わずかの差異も論争になり、裁き、序列を付けなければ納まらないことになります。

 違いをそのまま認めて、一緒に暮らせるような宇宙観の説明がまとめきれないでいます。

 話しは変わって以前にも書きました自然農法のことですが、福岡正信師の思想と同じ自然農法をアルプスの山中で行っている人が、テレビで紹介されていました。

 そこは標高1500m、5月まで雪の残る地帯ですが、ズッキーニ、キュウリ、カボチャなど、温暖な気候を必要とする作物を育てていました。チコリや麦などは、雪の下で芽吹かせるということでした。有機物とミミズ、微生物の活動で土の温度は上がり、マイナス12度でも凍結しないということでした。ここでの種の蒔き方が、雪の上に何種類かの種を同時に蒔いていました。雪の中で発芽する種があるそうですが、その土地に合うものが生えるという考え方でした。

 この考え方は、福岡正信師が土団子の中に何種類もの種を入れて、どれかが育つというのと、共通しています。

 次に戦後北海道の開拓団として参加し、高齢になった今も酪農を続けている方の話しですが、この話しもテレビで視た事なのですが、究極のところが福岡正信師と同じなのです。

 斉藤牧場という所ですが、北海道に入植し、開墾した場所は最も条件の悪い石の多い傾斜地だったそうです。西洋流の酪農方式でスタートした訳ですが、労働はきついしコストは掛かるし、ついには生活も出来なくなり、餌を与えることも出来なくなったので、牛を全部牧場に放してしまったというのです。山の鳥や虫は、何もしないで生きているのに、これだけ働いている私は生活も出来ないと常々思っていたそうです。

 山に放した牛はその後死ぬこともなく、乳も出たということです。この時から万物共生の酪農に入っていったそうです。ここには今も牛舎はありません。谷に間伐材を渡し、それにビニールシートをかけているのが牛舎と言えば牛舎だということです。冬は寒いので牛が体を寄せ合い、その体温でシートの雪も解けるそうです。
 また、牛は雪の中を歩いて沢まで水を飲みに行っていました。冬場の草も殆ど用意しておらず、通常の牧場より2ヶ月早く、地面に草が見え出すと牛達はすぐ牧場に出て行くということです。その為、牧草も伸びている時間がなく、丈の短いまま横に高密度で広がるようになり、量的には不足が無いということです。

 牧場の拡大の方法が、自然農法そのものなのです。必要な面積分を焼き畑方式で焼き、タケノコが出る頃に何種類かの種を蒔きます。そこに牛がタケノコを食べに来て、種を踏んで土中に埋めるのです。後はその土地に適した種が芽吹くというのです。
 乳量は、近代酪農の半分ぐらいだそうですが、70才代の老夫婦が何十頭かの牛を殆ど無労働、コストゼロで管理している訳ですから、大変効率のよい牧場と言えます。

 適地適作というのは、人が見つけるのではなく、種にまかせるという考え方のようです。前述のアルプス山中での種蒔きにしろ、斉藤牧場の酪農にしろ、人為では考えられないようなことをやっている訳です。

 準備人の考えている自然観、宗教観、宇宙観というものをうまく説明出来ないままに、自然農法の話しにそれてしまいましたが、単なるテレビの話しとせず、そこに共通しているものを汲み取って頂けたら有り難いです。
 福岡正信師をはじめ紹介した二組の方々は、覚醒した人と同じ考え方をもっているということです。
 何をもって覚醒しているのかを判断するのは、説明が足らないのですが、準備人としてはそのように感じているのです。

 準備人の思想の根底には、老荘思想があり、老子はすばらしく覚醒した人と思っています。


・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
福岡正信師の自然農法は、今の多数派の農業をしている方に言わせると横着の極みかもしれません。草も取らない、種をばらまくだけと見えるかもしれません。しかし、根底には神の手に委ねた、素晴らしい思想があります。農業自体、自然を相手に神の手に委ねたものだと思いますが、最近の農業は人間が神にとって替わったような錯覚を起こしている人たちが、携わっているように思います。・・


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  25号 2001. 4/15