**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   23号 2001.3/25

●「癒しの郷」の暮らし、お墓のこと

 「癒しの郷」準備人その2が、進行が遅いとか堂々巡りになっているとか責めます。確かにそういう面もありますが、この計画は、都市から地方へという同一文化の中を横に移動する話ではありません。立体的に移動する話しであって、移動先には何も文化といえるものがありません。ゼロ状態です。移動したのは良いが、何かある度に以前の文化を使うのであれば、知らぬ間に元の生活に戻っていたということにもなりかねません。

 器を作る事(図面を引く事)は、それほど難しい事ではないのですが、その前にある程度の生活概念と文化を作っておかなければ、移住したその日から生活につまずくことにもなります。

 話しが前後したり、繰り返しになる場合があるかもしれませんが、ご了承願います。

 さて、今回はお墓のことを考えてみます。先ず私の考えですが、個人的にはお墓は作りたくないと思っています。せいぜい樹木葬(自分の気にいった木の下に遺骨を埋める方式)ぐらいに留めたいと願っています。
 法要なども希望しません。お茶を飲む程度の偲ぶ会ぐらいなら認めますが。

 私は観光と遊びでしか寺にいった事が無い仏教徒ですが、死後のことはお釈迦様に従いたいと思います。お釈迦様は、自分の遺体は荼毘に付し川に流すようにと言い残しています。
 もし、輪廻転生(三次元体験)を繰り返しているなら、過去にいくつもの私の墓があるはずで、もうそれで十分と思っています。

 日本のお墓観は、宗教とはあまり関係がなく、単なる地域の風習のように思います。もし宗教とリンクしているなら、復活を信仰するある宗教のように土葬にするとか、一定の様式があるはずなのですが、日本の場合、同じ仏教徒であっても様式はまちまちです。土葬もあれば火葬もあり、墓石にして個人墓もあれば、夫婦墓もあり、また、一族で一つという墓もあります。

 墓が地域の風習なら、コミュニティ(共同体)の建設においては、また新しい風習が必要ということになります。これが立体的に移動するということです。

 次に、葬式の形を考えてみます。私としては、共同施設である集会場でシンプルなお別れ会をして、斎場に行きお骨にするというスタイルを考えています。遺骨は樹木葬にすればよいと・・・・。

 葬式やお墓のことは先の話しと思うかもしれませんが、この様式があってこそコミュニティ施設の形式や住形式が決まっていく訳です。
 従来の農山村では、葬式は各家で行います。したがって葬式の出来るような大きさと間取りの住宅になっています。
 葬式や法要、コミュニティの集会といった大人数が集まることを自宅でしないなら、家はコンパクトで良い訳です。
 また、樹木葬にするならそれ用の雑木林などを確保しておく必要がありますし、お墓を作るなら墓地も必要です。生活概念に等しい形が求められるのです。

 コミュニティ(共同体)を作るということは、こういうことも考える必要があるということです。安心して死ぬことも出来ないコミュニティ(共同体)など成立しません。
 マンションが永久に仮の宿でしかないのは、マンション住人の為の専用の墓地が無いからだとも言えます。
 戸建ての分譲地もそうですが、共同墓地がセットになっていたら、意識も変わるだろうと思います。


・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと昔までは、結婚式も葬式も自宅でしていました。家の大小に係わらず、近所の人が手伝いに来て、それなりに執り行われていたと思います。それが何時の頃からか結婚式は商売人に任せる様になり、今では葬式も商売人に任せ、田舎でも葬祭会館のような所が増えています。誰しも「しなければならない」と思っているから、商売になるのでしょうが、別に商売人に踊らされて高額の式をしなくても、結婚も出来るし、天国に旅立つことも出来ます。お墓だって石である必要はないと思います。自分が好きだった木の下にひっそりと散骨してもらうのも、良いでしょう。「癒しの郷」で死を迎えると、その方の希望するような最後の幕引きをしてあげたいと思います。「癒しの郷」住人として旅立つのならそれなりに、ひっそりと。生前の勢いがあった頃のようにと言われるのなら、それなりに豪勢に。どちらが天国により早く辿り着けるでしょうか。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  23号 2001. 3/25