**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**   3号 2000.10/31

 10月ももう終わりです。今年も残すところ2ヶ月となりました。
 今年が本当の世紀末です。火山噴火あり、地震あり、洪水ありで自然の驚異になすすべも無い無力な私たち。しかしこれは、地球を大事にしなさいという地球からのメッセージと受け止めて、21世紀は地球環境のことも考えて生活できるように努力したいですね。

 このメルマガでは、コミュニティ(共同体)という言葉を使っていますがやがて、グループホームとかコレクティブハウスといったような、もう少し親しみが持て代名詞として定着するような言葉が生まれないか、と期待しています。例えば、ラージファミリーとか・・・。今は誤解を避けるために、コミュニティ(共同体)で表現させていただきます。

●世帯の拡大はコミュニティ(共同体)に向かう

 今日の病(精神的な病、肉体的な病)の多くは、私達が心と体を分離させて生活していることにあると言われています。生きるためには私達は心に沿わない事もする訳です。これは社会の仕組み上そうせざるを得ない訳ですが、その結果、心も体もストレスを受け病むというのです。

 何が悪いかと言えば、今の世の中が経済を基本に動いていることにあります。1億円のマンションに集まるのは、1億円支払える経済力を持った人であって心の方向性を同じくする人ではないわけです。今の時代は、すべての事がまず経済というフルイで分別されてしまいます。心を同じくする人が集まり難い社会になっています。

 そういう時代なら一人一人独立して暮らせばよいのですが、人間一人では暮らせませんからどうしても人と人を結び付ける制度・仕組を作ります。この時の制度・仕組は、大概物理距離がフルイになります。例えば、同じ場所に住む人で生活自治会を作るとか・・・・。心の方向性の違う人でわざわざグループを結成する事になるわけです。このようなメンバーで構成されたグループは約束事(取り決め、ルール)で運営するしかありませんから、心の発露が無くストレスを発生させます。

 しかも私たちはそういうグループ(制度・仕組)にいくつも所属している訳です。PTAとか、子供会とか、会社とか、親族とか、自治体とか、国家とか・・・。病気にならないのが不思議なくらいです。

 この方向の問題は、心(価値観・方向性)を同じくする人が同じ所に集まって、ミニ社会を形成するということがされなければ、解決はありません。このことは、不登校児の問題解決策などを例に考えれば、わかりやすいでしょう。

 同じ価値観同じ方向性の人が集まった中では、それぞれが心のままに行動しても全体の方向性(調和)を乱すことにはならず、心と体を分けて行動しなければならない事はずっと少なくなります。
 心を曲げる事無くそのまま行動できる事が「癒し」ということであり、健康な生活を送るための唯一の方法でもあります。

 そのミニ社会は、自立性(自己完結性=グループ内自給能力)が高いほど、つまり、既存社会に依存する部分が少ないほど既存ルールへの妥協は少なくてすみますから、癒し効果の高いものになります。少人数かつ限られた人材で自立性を高くしようとするなら、自立に向かいやすく効率のよい仕組が必要となり行き着くところコミュニティ(共同体)になります。

 コミュニティ(共同体)がよいのは、それが家族と同じ原理で動くからです。コミュニティ(共同体)の財産はメンバーのものですから、なるべく消費を避けようとします。これが自給につながり自立性を高くして行く訳です。企業のように全財産は株主のものという仕組では、些細なものでも自給しようとは考えません。また、家族(共同体)以外の団体では、メンバーの平等を貫くためには全てのことを一番低い人のレベルに合わせて行われなければなりません。例えば趣味団体などで負担金額を決めるときは、負担能力の一番低い人に合わせた額ということになります。リービッヒの最小の法則で動くことになります。

 しかし、家族(共同体)の場合は各人が最大能力を負担することになります。人によって差が出る訳ですが、それを不平等とは考えません。このようなことから、同じ人数なら共同体の方が何倍も大きい力を発揮することになります。(効率の良い仕組と考えることもできます)
 この結果、少人数でも自立性が高くでき(既存社会と一歩距離を置く事が出来)、癒し効果の優れたものが出来ます。

 単に物理効率を良くするだけならコレクティブハウス、グループホーム、などの暮らし方でもよいのですが、癒しと言う事まで考えるならコミュニティ(共同体)になると思います。

 実は、すでに多くの人がコミュニティ(共同体)の生活を考えていると思います。ただ、イメージが漠然としていて具体的な形に出来ないでいるのだろうと思います。だからこそ私がこのようなことを考えているのでしょう。宇宙の相応の原理において、求める人がいるから答える立場になっているのだと思っています。

 今求められているのは、コミュニティ(共同体)の具体的な形でありモデルでしょう。ただ、モデルが全くないわけではありません。1970年頃から世界中で作られており、欧米では数百人規模になっているものもたくさんあります。日本にもかなりのグループがあるようですが、日本の場合広い土地の確保が難しく(小地主制になっている)、大半が小規模です。数から言えばまだモデルとして示せるような量ではありません。

 理想的には小学校区に一つぐらい、少なくても中学校区に一つぐらいのコミュニティがなければ、モデルにはならないでしょう。
 コミュニティ(共同体)で生活する子供が、自分のところに友達を連れてくるようになったとき、コミュニティ(共同体)というものの概念がその友達にインプットできるわけです。そして、その友達が社会人となり生活スタイルを決めるときコミュニティ(共同体)の生活も一つの選択肢になるということです。普通には新しい概念の伝達は、そのぐらいの速度です。


・・・・内輪話ですみません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回は「コミュニティ(共同体)」という言葉が連呼され、イマイチ内容が理解出来ないと言う方がいらっしゃったかもしれません。「癒しの郷」のキャッチフレーズでもありますが、「非血縁の大家族で暮らそう」が原点です。大家族だからといって1軒の家にひしめき合って暮らす訳ではなく、スープの冷めない距離に寝起きするだけの小さな家を建てて暮らすのです。そして大家族ですから、大リビングルームを作り、そこでみんな食事をし、語らい団欒をするのです。大浴場も作り、要介護者が居れば入浴介助しながら複数人で入浴すればいいのです。洗濯好きの人が洗濯をし、料理好きの人が料理を作り、掃除好きの人が掃除をし、園芸好きが野菜作物や花を作り、現金収入の有る人が経済を支え・・・。とにかく、自分が出来ることをしていれば良いのです。例え寝たきり要介護者でも、そこに居る限り存在理由はあるのです。


**コミュニティ「癒しの郷」を創ろう**  3号 2000. 10/31